2018年11月26日月曜日

平井玄小論 -Don’t take it so personal, 社会的なものの模索-


「平井玄はおもしろい、在日みたいな考え方をする」(平岡正明)
「贋の国民は都市に向かって追い出される」(安部公房「内なる辺境」)
 
逃げ出すために、逆にどこかに入り込むフリーターへの手引き。「不安と抵抗の実体」に迫れないまま日々の慰安を遊んでしまう。
あるいは、世の中、分かっていると仮にでも嘯くから憂いのか、まだまだ見えないからテンツクテン・テン・テン、と明るいのか。
佐渡山豊さんは、たぶん沖縄の現況も含め分かり過ぎているが故の憂愁を振り払うようにして歌があるのではないか。対して平井玄さんは、風穴を開けようとしている。「コザの長い影」。韜晦。一矢報いる。分からないまま突っ走る。あるいは、愉快な落とし穴に相手がはまるまで、もう一度、revolt,ボルトを入れて気持ちを奮い立たせるしかないのだ。
It is not a personal song,
 平井玄論を今、書き始めなければならない。
 地下大学が一度閉じて、一定の距離がとれたから、ということもあるだろう。
 もっとも、平井玄と自分が本質的に近かったことなどないように思う。
 「(平井さんは)クールですよね」と言うと、
 「クールじゃないよ」と笑っていた。
否定辞(not)こそ平井玄にふさわしい。
 最初に出会ったのはパレスチナ研究会、クレズマのCDを嬉々として聴衆を前にかけていた。
 その熱にほだされていた、熱に自分もひたりたかった。
 平井玄の本はほとんど持っているが全てではない。
 塾の生徒に少し話をすると、「平井堅?」と聞き直した。
 著名、知名度、いずれも数百人、数千人規模だろう。
 ただその名を語るとき、熱を帯びる。Fired ice cream 氷が溶け始める。液状化するクリーム。それでも写真を見ると、平井さんはきれいな人である。塵芥にまみれつつも、こんなにきれいな人はいないのではないか、というのが、熱と同時に、ぼくが平井さんをアイス、氷と表現したい理由である。石焼きアイスなんてちょっとよく分からないデザートは食べたことがないが、平井さんが熱を帯びて行くにつれ、研ぎ澄まされていく言葉、語り、そして見通す眼。その辺りに今後も注目して行きたい。日本の現代思想家は、いつも空を飛行機で飛んでいるのではない。地上を歩きながら、バスに乗りながら、思索している平井さん。
 平井さんはケレンでも道化でもないが、そう見える外観、尾ひれはついて回る。しかし、日本で現代思想を自分で考えられるのは、やはり平井さんの他にいないと思う。
 過剰な期待と熱を投じるのではなく、またギャンブルしない透徹した冷たさで、平井玄の語りをまだまだ聴いてみたいのである。

2018年11月6日火曜日

アラビア音楽に学んだ愛



支配されない愛はない
科学は愛ではない
理性は愛ではありえない
法は
エコノミーは愛ではありえない
そして言葉もまた愛ではない。
反復も、
継続もまた愛ではありえない
一瞬でさえも。
ロマンスや大の字の付く恋愛も
愛ではありえない。
政治も
文化もまた愛ではない。
そして、
「否定性」もまた愛ではない。
天の邪鬼も泳ぐ魚も。
ルイス・キャロルを
キャロル・キングを
ダナ・キャランを
ダイアナ・ワシントンを
私は肯定する。
肯定、即ち愛ではないにしても。

2018年11月1日木曜日

毀れた記憶の船




Now you are dying for eternity.
Don’t you dare stop.
For there is no instance in future we wait for.
What you can give to your memory,
Is what you are.

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