2018年10月8日月曜日

前に進むこと:山下洋輔からパスカルズへ


 Le chagrin nous forcir de avancer.
掻きむしられるような思いをして、ぼくらは強くなる。
山下洋輔さんのジャズもそうかもしれない。

4年ほど前に、パリからの友人がコンサートに行きたいというので、山下洋輔さんのジャズを新宿ピットインに聴きに行きました。
尺八奏者との共演だったのですが、山下洋輔さんの音のすごさ、影響力、相乗効果、相手の音を受けて響き出す強さ、解釈の確かさ、これはもうこっちの想像を2つは先に超えています。
 西洋と日本の間は、もう山下洋輔さんにあっては恒常的な活きた問いになっていて、それをそのまま投入し、お客さんを呼べるくらいまで、音で考え抜いた姿勢があります。学者だから客が来ない、というレベルのことではありません。
 どんなことでも、おもしろければ、客は必ず場所に参集します。
 ぼくは、聴いていて、そうか、火山か、火か、行け行け!そっちにぼくも行きたいな!と譫言を思っていました。
 ぼくが思想、哲学研究でやったことは山下洋輔という先駆者によって、既に3周差くらいで展開されていることへの驚き。新しさ!
 サッカーで例えれば、相手の裏にボールを蹴りこんで、後はゴールまでキーパーと1対1のときのテンションに近いというか。サッカーでも、音楽でも、思想、哲学でも同じものを自分は求めているのだと納得しました。
 ぼくにはスイングということも、カッカッと自分のなかで火が燃え出すことも、前に進むことも、初めて感じる感覚でした。
 ※
哲学と音楽の潮流を合わせて考えるのに、哲学を音楽に例えます。フランスで60年代クラシック、現代音楽を習ってきたら、日本では前衛のジャズやっていたような違和感を2002年に帰国し感じました。
 哲学から現代思想に生まれ変わるのが70年代のドゥルーズなど、平井玄さんと親和的な現代思想家たち。クラシックが打破され、現代音楽にも行かず、ジャズになる。
 そのなかで、ジャズに出てくるニーチェは、クラシックの現代音楽に出てくるニーチェとは違う。
 鵜飼哲さんが語るニーチェと、ソルボンヌ学派が吐き捨てるニーチェは違う。ジャズとクラシックほど違う。
こういったことを考えたのも、山下洋輔と相倉久人の刺激的な対談を読んだから。
現時点では自分は哲学よりも、音楽について考え、書くことが増えています。
 今は、パスカルズと日本の音楽の交流する力に着目しています。
 そこにジャズを超える可能性があるか?郷愁をテーマとしながらも、ベクトルは前に向いているのがパスカルズ。そういった観点から今は聴いています。

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