2018年10月24日水曜日

12年間、外村先生への感謝






 外村先生の心に残る一言に、「アーティストは時間をかけて育まれる」といった内容の言葉がありました。
 このことは短期的に文筆で結果が欲しかった自分をも支えました。実際には、書けるようになるまで、発表したくなかったので、25歳まで書いたものはほとんど捨てています。少しもったいない気もしますが、先生に26歳くらいで出会い、お世話になり、12年間見ていただいてきました。
このたび、相談したら、ぼくは論文を書くよりも、違う表現の方がいいのではないか、というアドバイスをいただきました。
 留学以来、フランス政治哲学で論文を書きたいと思っていましたが、それは急いでいません。
 
 究極Q太郎さんという素晴らしい編集者に出会い、同人誌にもう2度、文章を寄稿できました。
 
 大学で教える、大学の入試問題を作るということも含めて、本当に難しいことだと思います。
 21歳で日本に帰ったときは、自信しかなかったですが、26歳まで風雪に耐え、そこで先生に出会って、恭順することができました。12年間でほぼ社会復帰ができました。
 寛大さ、というのは力に溺れるタイプの自分には、まだまだ示せない何かだと思います。
 外村先生の底の深さはそういうところにあります。



2018年10月22日月曜日

フォワード論


昨日は、武徹太郎さん(馬喰町バンド)というひじょうに優れたミュージシャンに出会い、興奮した。世代も近いだろうし、刺激を受けた。共鳴、調和を越え出た才能の迸りさえ感じた。
帝王といわれたマイルスは一時、トランペットを吹かないでステージで踊っていたそうだが、並びなき者がさらに上を目指す悲劇がそこにある。佐渡山豊さんは他の演者のところまで少し降りて、つなげられる人。サッカーでいえば、ポストプレーができる。

ぼくはサッカーでは本来、フォワードで、中盤は走行距離が足りないからできなかった。それに中盤の判断力、サッカーへの深い理解はなかったから、前線のシンプルで緊急事態への対処、ゴールへの最短距離ということだけを専門にできた。
フランスでは草サッカーでセンターバックもやってみたが、素人範囲。やはりチームはディフェンスの形が基盤になるが、他の人に任せられれば攻めに専念できる。フォワードは楽しむという責任がある、ゴールという。

国際海運業の仕事も少し、見習いまでやったけど、フォワーダーという、運搬の道筋をつける仕事だった。先回りして手配する役目。これにはディフェンスの要素が大きい。物理ができないとできない仕事。ぼくには難しかった。

 フォワードというのは、チームの中で、花形なのだろうが、華やかなだけがフォワードではない。本能の迸りだけでもない。緻密な計算が短時間でできないと、ゴールまで行けない。判断力とパワーが両方いる。正直、他のポジションのことはよくは分からない。集中力というのが大事になってくると思う。創造性、大胆なパスというのも、中盤より前で受け手、出し手としても必要になる。
 

2018年10月9日火曜日

パスカルズ 「花火」随想 : 鯨の涙 Tears of a whale




Tears of a whale

Love as a fancy, in the tale of Princess Kaguya.
All the gift of princes, The bowl from the tomb of Buddha, The branch of pearls in Neverland, The fur coat of fire rats, 
The bijou in Dragon’s neck and The shelfish of bironda.
Like tears of a whale, you wear the necklace,
And you enter the parent’s seat.

A portrait, nature morte, I reject the conscious as an object.
Because it’s a lost love, I can burn it till it ends.
Continuous rhythm of Pascals, quite mystique.
It’s a firework rather than a flame, artificial

Could we control ourselves?
Or did we want to?
You swim in the shade of an adventure.






鯨の涙 

仏の御石の鉢 蓬莱の玉の枝 火鼠の皮衣 龍の首の玉 燕の子安貝
鯨の涙粒ほどの大きな真珠のネックレスをして きみは保護者席に座る。

静物、nature morte, 死んだ自然、というものが絵画にはある。何者でもないものだけが、物として意識を消去する。
物自体が語り出す時だ。

過去に終わった恋だから、燃やすことができる。
不思議な音、連なり。
過去に終わった事件だから、熱くなれるのか。
炎ではなく、花火。 Artificiel…
コントロール可能なのか?
また、そうしたいのだろうか?
アヴァンチュールの蔭に泳いで。

2018年10月8日月曜日

前に進むこと:山下洋輔からパスカルズへ


 Le chagrin nous forcir de avancer.
掻きむしられるような思いをして、ぼくらは強くなる。
山下洋輔さんのジャズもそうかもしれない。

4年ほど前に、パリからの友人がコンサートに行きたいというので、山下洋輔さんのジャズを新宿ピットインに聴きに行きました。
尺八奏者との共演だったのですが、山下洋輔さんの音のすごさ、影響力、相乗効果、相手の音を受けて響き出す強さ、解釈の確かさ、これはもうこっちの想像を2つは先に超えています。
 西洋と日本の間は、もう山下洋輔さんにあっては恒常的な活きた問いになっていて、それをそのまま投入し、お客さんを呼べるくらいまで、音で考え抜いた姿勢があります。学者だから客が来ない、というレベルのことではありません。
 どんなことでも、おもしろければ、客は必ず場所に参集します。
 ぼくは、聴いていて、そうか、火山か、火か、行け行け!そっちにぼくも行きたいな!と譫言を思っていました。
 ぼくが思想、哲学研究でやったことは山下洋輔という先駆者によって、既に3周差くらいで展開されていることへの驚き。新しさ!
 サッカーで例えれば、相手の裏にボールを蹴りこんで、後はゴールまでキーパーと1対1のときのテンションに近いというか。サッカーでも、音楽でも、思想、哲学でも同じものを自分は求めているのだと納得しました。
 ぼくにはスイングということも、カッカッと自分のなかで火が燃え出すことも、前に進むことも、初めて感じる感覚でした。
 ※
哲学と音楽の潮流を合わせて考えるのに、哲学を音楽に例えます。フランスで60年代クラシック、現代音楽を習ってきたら、日本では前衛のジャズやっていたような違和感を2002年に帰国し感じました。
 哲学から現代思想に生まれ変わるのが70年代のドゥルーズなど、平井玄さんと親和的な現代思想家たち。クラシックが打破され、現代音楽にも行かず、ジャズになる。
 そのなかで、ジャズに出てくるニーチェは、クラシックの現代音楽に出てくるニーチェとは違う。
 鵜飼哲さんが語るニーチェと、ソルボンヌ学派が吐き捨てるニーチェは違う。ジャズとクラシックほど違う。
こういったことを考えたのも、山下洋輔と相倉久人の刺激的な対談を読んだから。
現時点では自分は哲学よりも、音楽について考え、書くことが増えています。
 今は、パスカルズと日本の音楽の交流する力に着目しています。
 そこにジャズを超える可能性があるか?郷愁をテーマとしながらも、ベクトルは前に向いているのがパスカルズ。そういった観点から今は聴いています。

2018年10月4日木曜日

旅立ち


 
 
愛に翳りがあるのなら
 きっとこういう夜だろう
 何もかも美しくて
 忘却の底にきみはいて
 だけれども、きみは表計算ばかりしている。
 全てをさらけ出さない
 ぼくの心も服を着たままだ。
 心の燃え滓を身に燻らせ
 「それが何だ!」、とぼくは言うのか。
 
 もしも愛があったなら
 きっとああいう夜だろう
 何もかもが捩れてしまって
 愛、などとは言えなくなった
 もう幾年
 そういう日々は続いているのだ

 愛に願いがあるのなら
 きっとこういうことだろう
 何もかも上手くはいかないけれど
 今でもきみは
 ぼくの心を押してくれる
 その思いを
 ぼくは愛と呼びたいのだ

 また、愛に証拠がないのなら
 きっとこういうことだろう
 どうあっても
 Allure, 魅惑、
恋の魔法も今、昔
 愛に手形があるのなら
 その手は誰のものなのだろうか?
 
 国家、学校、郭公、情報特許許可局
 口真似をしても 到底追いつけない
 姿、形があるならば
 ぼくにはもう見えている
 雷雨の度に
 手紙を書く
 その静かな愛を
 ぼく1人分の幸福を
 大事に守っている
愛に陽炎が揺れるなら
 きっとああいう夏だろう
 もう二度とこない海を
 ぼくは長いこと待っていた
 アメンホテプ四世の像を
 見下ろしていた崖の傍で
 父のいた日々を
 母も懐かしむだろうか。
 旅立つ心は戻らないにしても。

 愛に外車がいるならば
 世界は中心を持つだろうか?
 子を思う気持ちは千差万別
 でもどれも愛に裏打ちされてきた
 
甲状腺癌も治す薬があるだろうか。
 原発、夕張メロン
 始発の電車で遠くまで行こうか
 頼ることはできないから
 財布にも重さが要るのだ
 アフラマズタ、リグ=ヴェーダ
 どれも読んでみたいブックカヴァーだ。
 しかしもう、読書の時ではない
 地蔵通りで
 豆鉄砲をファンファーレに
 道産子レースだ。
 臍を咬んで
 Living dead,
  ゾンビにも名があるか?と
 記帳書に印をつける。
 琥珀、虫眼鏡、ジョン・万次郎
 マジャール人、パンナコッタ
 その次に、
 きみの名を書いた。

 愛に自由があるのなら
 その扉をぼくはそっと閉じたい
 自在天、ジーマミー豆腐、地雷の信管
 北条氏政、タマリンド、飾らない言い訳
 自尊の気持ちがあるならば
 それを今すぐ捨てなさい
 微妙な空気を
玄妙な現在を
ぞんざいにしているのだと、
鳶の青年も知らぬまま。

旅立って
どこに還って行くのか。
もう一度旅に出るなら
どこに次は行くのか。
もう始まっている
永久の旅立ち。



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