2018年9月30日日曜日

ヴェロへ




 パタティ パタタ
 歌うように言っていた
 パタティ パタタ
 意味は おぼえていない
 
 パタティ パタタ
 肩をふるわせ
 パタティ パタタ
 泣いたことも忘れていた。

 パタティ パタタ
 笑顔がひどいと
 パタティ パタタ
 鼻を鳴らして笑った。

 お父さんがアルジェリア人だと言っていた。
 いつまでもフランスにいていいのよ、
 と言ってくれた。

 パタティ パタタ
 ヴェロのやさしさに
 パタティ パタタ
 ぼくはこたえたい。

 パタティ パタタ
 どれだけ努力したら
 パタティ パタタ
 また会えるのか。


 

2018年9月24日月曜日

黒い星


色かたちによって、わたしを測り、また音声によって、わたしを尋ねもとめた人々は、貪欲や情欲に支配されているのであって、(実は)わたしのことを知らない。」ラクンタカ[・バッディヤ]長老




  ケトン体、タンパク質の燃え滓だ。
 死後の事は、仕事にならん。
 医者もわからん、死期は分かるかもしれないが。
 歯牙にもかけず、葬儀は難儀。
 太陽も死もこれを見つめることはできない。

 たいまつが洞窟のなかを明るく照らす。
 それが理性であり、啓蒙であるとしても、
 どこかそれは箱庭的だ。
 人類は釈迦も、国境も越えて、
 目指さなければならない、黒い星を!

 If you sing out loud, you are about to lose yourself.
  If you sigh, you must have been weaving for such a long time.

 不幸しか人を育てない。
 そして、好きじゃないから分かる、ということもある。
 愛の話だ。
 
聴け。
 薬という薬は、症状を固定するためにあるらしい。
 元医学生の安部公房が言ってた。
 真偽のほどは、自分で判断するしかない。
 一度切りの言葉を呑むんだ!



愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五蘊盛苦
 

2018年9月17日月曜日

画に感謝!




 画と力、力点の強さは関係ない。一番ストレスがかかったときに、一番やわらかいやさしい画が描けたりもする。

 佐渡山豊さんに、「手はないのか」と言われたり。生徒が、「ビーンくん」とかいろんな名前をつけてくれたり。手を描く方法を生徒が教えてくれたり。一番最初に描いた画が、いろんな人との結びつきを作ってくれました。
 「ひとりぼっちは絵描きになる」と友川かずきさんは歌ったけれど、起死回生。この絵からぼくは立ち直りました。
 人間のボトム、底に落ちたときにこそ、芸術があります。詩を書き始めたのも、どん底のときに、逆に明るい詩を翻訳したことからスタートしました。

2018年9月14日金曜日

ラシッド・タハ追悼


 改めて追悼文を書くのはさびしすぎるので、以前書いたものを再掲します。

 



  ラシッド・タハと佐渡山豊

 比較によって、誰かのことが分かるかどうか、比較文化論という方法論が有効であるかどうか、それには議論もあるだろうが、自分のなかでは、ラシッド・タハを日本の誰かと比較して考えるとしたら、沖縄の佐渡山豊さんしかいない。逆に、佐渡山さんをフランス人、アルジェリア人、もっと端的に言えばフランスに関連しているアラブ人に説明するとしたら、「その人はラシッド・タハに少し似ている」と躊躇しながらも言うかもしれない。
 無論、ラシッド・タハの反植民地、反差別を含んだロックの精神はアラビア語が全く分からない私には言語としては半分しか分からない。フランスでアラブ人とサッカーをしていたとき、「フランス語とアラブはもう分けられないんだ、それが植民地主義が100年あったということだ」と聞いたことがある。ラシッド・タハのヒリヒリ感というのは、その辺の重み、深み、ラシッドの若かった頃の映像で、執拗に「お前ら差別してるんだろ?」とフランス人に食い下がる映像を観たことがあるが、そのヒリヒリ感、というのは、ちょっと他の誰にもないものだとも思う。
 最近ぼくがイライラしていることは、民族主義、国民国家の枠組みをフィクション以上に重視し、そこの枠組みから出てこない人間へのイライラ、本気でそういう連中を糾弾、攻撃するためには、ぼくはやはりラシッド・タハの音楽しかないと思うのだ。
 佐渡山豊さんの音楽はもっと優しい、言うべきことを多彩な言葉で直勧に語ってはいるが、佐渡山さんが優しさを失うことは、それはウチナー(沖縄)の山河や魂を失うことと同じくらいあり得ないことであるだろう。そして、そうだとしたら、ラシッド・タハのヒリついた声、音にはアルジェリアの国土と地中海を隔てたフランスと、幾多の山河、砂漠が未知のものとして、音に潜んでいる。
 端的に、自分はこの音によって、もう一度、探求心、好奇心と呼ぶのは緊張感が無さ過ぎる、ある種の心のヒリヒリを感じた。
 佐渡山さんの歌を聴くときのヒリヒリ感には幾分、水分がある、水の豊かさがある。しかし、ラシッド・タハを聴くとき、それは砂漠のなかの渇きとして自分に迫ってくるものがある。
 果たしてこういう短文での比較が何か言い得たとも思えないのだが、ラシッド・タハを聴き、また佐渡山さんの歌を聴き、Zoom、を聴いては、つむじ風を聴く、というのはありだと思うのだ。ぼくらの不満を見失わないように。いつもヒリヒリしているために。

2018年9月7日金曜日

ジンバブエのンビラ(親指ピアノ)奏者、ガリカイ・ティリコティさんの音楽と語りについて



法悦と苦の意識 ンビラ音楽・体験 -

I tried to listen deeply to what music says,
Without noticing what words you sing,
And I fell asleep while I was into the music,
I noticed black and red insects which glitter in lights like gold, coming into my nose and ears.
I find it must be core part of your music, richness of what those insects show, which wouldn’t stop buzzing.


 ガリカイさんのCDを聴きながら寝落ちしていたら、
  
法悦と儀式の中にありながら、

 耳の中にも口の中にも
 火に燃えたような虫が入ってくる、這いずり回る、
 そういう夢を見た。
 法悦のなかの煩わしさか。

  これが多分、ムビラ音楽の本質、

 法悦と苦の意識、思惟、ノイズ
 即ち燃え盛る赤土色の虫、なのだ。
 苦を孕まない楽はない。
 音は楽でありつつ、苦なのだ。
 短調、長調、なんてぼくは知らない。
 だけれども、楽には苦、ノイズがある。
あなたの敵は俺じゃない、俺の敵はあなたじゃない、
お互いのなかにあるものじゃないか、と佐渡山豊さんは喝破した。
己にもあなたにも苦はある、この共鳴。
それが音楽ではないか。
 
  
ガリカイさんの歴史観

 次に、ガリカイ・ティリコティさんについて、少しインタビューしたことを書く。ガリカイさんの歴史観について、である。歴史意識、ルーツということ、これに限って話を展開してみたい。無論、そこに音楽も絡むのではあるが。
  始めに、釈迦の「過去に足をとられるな」という言葉について意見を求めたところ、ガリカイさんは、先祖の歴史を知ることは不可欠だとおっしゃった。自分が年長者たちから伝え聞いたことを、年長の子供たちに伝え聞かせなければと。それは、ジンバブエにガリカイさんの家系が来る前、現在のモザンビーグ辺りの狩猟民(ハンター?)が今のジンバブエの土地に移り住んで、その優秀な働きによって土地を与えられた、といった伝承。あるいは、白人が来る前、そして白人が来た後の奴隷交易について、それらを白人側の歴史記録からではなく、ジンバブエに住んでいた黒人の側からの伝承と記憶、である。

 ガリカイさんによれば、精霊によって、それらの伝承はガリカイさんに伝えられ、また他方で年長者からの物語、歴史としても伝えられたということだ。
 私の質問は、一つの危惧として、その口承伝達を文字化すればどうなるか、ということだった。例えば、アイヌのユーカラのような「口承文芸」伝道者が文字を覚えることによって、その記憶を失ってしまったという例を聞いたことがあるからだ。
 ガリカイさんにその話をすると、
 「自分の歴史は決して間違えない」ということを再三おっしゃった。それはルーツと精霊に深く根ざしているから、忘却されたり、間違えたりはしないのだと。

 私なりに整理をすると、年長者から物語ないし、歴史として語り聞かせられる部分と、それを精霊との交流のなかで、体感、肉感する部分と両方あるのだろう。




 ガリカイさんのお話、-伝統と共にモダニティを越えて-

 ガリカイさんのおっしゃるには、日本の先祖たちの精霊というのは、ンビラという祈る楽器、または「電話」の古語でもある物を鳴らしていると、話かけてくるとおっしゃる。自分の子孫に伝えたいことがあって、とても強い精霊だということだ。そして、空中を舞うように巡回しているような精霊たちも、その子孫を包むように、覆いかぶさるように、また後ろに支えるように重なって行くという。
 また神社、あるいは大小のお寺で、伝統を大事に伝えていること、そのこともとても大事だというお話でした。
 そのことから何が見えてくるか、さらにお話をうかがうと、私の方から先日読んだ、プロメテウスの火の神話をお話させていただきました。つまり、日本人は西洋からその文明の火を持ってきたのだが、その火をどう使っていいのかわからないのだと。ガリカイさんは、少し笑って、「大きなミステイクだ」伝統を忘れてしまうことは大きな間違いだ、ということをおっしゃいました。モダニティ、近代は便利だし、いいものかもしれないが、それだけで自分たちの伝統を失ってはならないのだと。日本人の老人たちが伝統を子孫に伝えることの大事さ、それを怠ってはいけないことを、聞きました。つまりは先祖をお盆で供養したり、そういう時間を失いつつあるような東京など大都市の有様、モダニティが全てではないのだと。
 全ての話をその場から再現することは難しいのですが、ガリカイさんの日本へのメッセージは、祖先の精霊の力がとても強いこと、伝統を大事に老人たちから聞くことではないでしょうか。
 「日本人は皆、大きな家族のように、一様にどこに行ってももてなしてくれた、感謝している」ということもおっしゃっていました。そのことは私もうれしく思います。
 ガリカイさんのお話から我々は、日本での新たな再出発、前に進んで行くことができるのではないでしょうか。



アフリカの知恵について
 
アフリカの知恵、経験というのはなかなか見えないようにされてきた、というのが私の感想です。ジンバブエはイギリスの、言語的な影響も含めて支配が400年続いたにも関わらず、それ以前の伝承も含め、ンビラの曲、歌にも、経験が語り伝えられています。ガリカイさんのンビラも、千年を越える伝統のなかで培われてきた何かで、それは歴史であり、また、祈り、伝承です。あえて、mystic秘教的な、神秘的な、魔術的な、という表現を使いますが、生きていますね、その知恵にはいろんな過去の伝承が。二十歳の頃、自分はソルボンヌの書庫の古書群を見て、これを全部読むことはできないと、圧倒され、自分が西洋の学を続けることが氷山の一角に過ぎないのを思い知らされました。しかし、それに400年、抗して生きてきたジンバブエの人たちの知恵と経験を学ぶには我々はあまりに、西洋に対してウブである、ということを思います。ガリカイさんの生きた知識・姿には、西洋以前から脈々と受け継がれたアフリカの知恵が活きていて、それはやはり日本仏教の経典の山や、ソルボンヌの書庫などにも劣らない蓄積の為せる業です。
 ガリカイさんは、老若男女、肌の色、民族による違い、差別はないとおっしゃいます。我々の祖先が、我々に伝えなかった伝統を伝承すべきであると。ンビラを弾いていると、守護霊のような私たちの祖先の霊、精霊が見えるということでした。これは近代西洋の範疇を越えて、ガリカイさんにはありのままに見えているのだと思います。幻覚・幻想と片づけるにはあまりに確かな語りなのです。
ぜひ、皆さまにも、ガリカイさんとの時間を共有して欲しい、そう願っております。





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