2018年8月28日火曜日

内と外の往還、佐渡山豊の旅


  
  ヤマトへの一度きりの旅立ち、沖縄への再びの帰還。そして長い沈黙の後の往還。
沖縄の「本土」への復帰。アメリカ軍基地への就職。あるいは、集団就職。佐渡山豊の三軒茶屋。本当にいろんな物語があるに違いない。
 その上で、佐渡山豊に甘えはあるか?今ならあるか?いや、今もないに違いない。
 ぼく自身は、社会復帰を模索し、果たしてきた。言語未生の音から、日本語、ウチナーぐち、エトセトラ。ロック、演歌、ジャズ。記憶がかすかに漂い、ライヴが始まる。



 

2018年8月26日日曜日

絹のようになめらかな時間  ステファヌ・マラルメ



絹のようになめらかな時間
キメラの夢もしょげちゃって
上半身裸のきみは
鏡の外へと腕を伸ばす

瞑想の旗の穴ぼこたちが
街の通りに拡げていく
きみの髪の毛に隠れて
その得意げな目線から逃れたい。

いやだ。この口は納得しないだろう
噛んでも味もわからない
もし、きみの王子様になれないのなら、

声が洩れる
ダイヤモンドのように放たれる
かすかな勝利の叫びがね。

2018年8月25日土曜日

Flatres!



ひっかいたものを
またなぞって描くのだ
刺青
パン=タデッシュ
意味なんてない。

ミツキーエヴィチ
痛み
タブラ=ラサ
東欧をなぞる。

久山先生の授業
アンジェイ=ワイダの映画群
斜めになぞった落下
死は永久だ。

長城を西側に越えたのか?
ようやく越えた!

ギリシアは粒よりの小さな国だった
ローマのことはよく知らない
Flatres! (兄弟たちよ!)

2018年8月20日月曜日

「天は穹廬に似て」





アフリカ大陸のルーフ・ランタン、天井の灯籠飾りが思い出させる。
ンビラを聴きながら、心が緩み、微笑む。
これだけは写真に撮らない何か。
思い出し、忘れるために集った、
老若男女の集合体。
ふいに思い出した、チョロクの歌。


ガリカイ・ティリコティさんの音楽と教えについて @アフリカ大陸・吉祥寺 2018





ガリカイ・ティリコティさんの音楽と教えについて

ガリカイさんのintensity 傾斜角というのは、スピードと表情、首の振り方、精確で多幻な音を奏でるために、ここまでやっている。終盤にかけて登りつめる。この情熱と速さ、そして大きく穏やかで力強いメッセージ。聖者というのはこういう人を言うのでしょう。

仕事の存在すら忘れて、音楽にぴゅーんと心が飛んでしまっていましたね!この世にこれ以外あるの?という感じで集中して聴く、というよりも、体動かしてましたね!
 まだ自分のなかに、これだけパワーがあるんだと。
 ガリカイさんのパワーを見ると、なんかまだ自分がサッカーできるくらい体力あるんじゃないかと思うくらい、体が動きました。
 これは元気になるし、体にも心にもいいです。
「このライヴで、全ての問題が解決するわけではなくても、一歩も進まないよりは一歩でも進むのはいいことだ」、と。「このライヴを機に不幸にある人、病気の人もご加護があるだろう」と。
 ガリカイさんの言葉を聞くと、ほんとにその通りだと思う、納得のライヴでした。
ライヴの空気というのは、みんなで作るものですが、ミュージシャンのgreat intensity and fabulous music ほとんど、寓話のような、語り継がれるようなライヴで我々は異次元に行けます。
 unplugged 電気を通さない音であることも大きな要素なようです。

ガリカイさんは、人々に愛されるという意味で王者だなと。その思い、人々に届けたい思いの大きさもうれしい。
 ガリカイさんは、今まで出会った人々皆に、そしてこれから出会う全ての人に感謝を、とおっしゃっていましたが、なかなかそういうスケールで話す方はいません。
 何度もいいますが、今回のツアーをオーガナイズされているスミさんに感謝申し上げます。
 ツアーはこれからも、全国各地を周る予定とのことです。
 お近くの方はぜひ!
ジンバブエのムビラ~ガリカイ・ティリコティジャパンツアー2018
スケジュール
http://www.mbira.jeez.jp/garikayitour2018

Great rhythm, great music, incredible Live at Africa Tairiku, Kichijoji, Japan.
Thanks to all the band members for my happiness tonight.
Every one had an excellent time joining the live dancing with foot and crapping hands.
Great message and intention of Mr. Garikayi Tirikoti to exchange cultures and sharing them among people of Zimbabwe and Japan.
Garikyai san made the live a celebration, with good mind of all the people. He told us to respect our children and our elderly people, to show thankfulness. That is to thank god and remember god that made us do what we are doing.
I especially want to thank Sumi Madzitateguru Blacknoman san to organize all the great live in Japan this time again.
That we get together again.
Mr. Garikayi Tirikoti told me that he want to thank every people he met and to every people he is going to see in future.


今日、久しぶりに近所のスーパーで祖母に会った。ここ数ヶ月、ぼくの方が一方的にわだかまっていたのだが、ガリカイさんに、なぜ年長者を敬わなければならないか、説明していただいてから、やっとわだかまりが消えた。
 お年寄りに寂しい思い、1人だという思いをさせてはいけない、お年寄りは、我々を育て、  我々が育ったという神の働きの一部を担ったのが、今のお年寄りだからと。
 お年寄りを思い出すことは、神のことを思い出すことと同じだと。
 それと、子どもへの敬意。箱のなかに赤ん坊を入れたら1時間と生きてはいられないのに、母親の母胎で8ヶ月以上も育つのにはちゃんと意味があると。これは女性たちへのメッセージだったかもしれないけれど、自分たちの番を受け入れなさい、というような言葉もあったように思う。
 わだかまりが消えて、ハッピーになれました。

2018年8月17日金曜日

大学に最後に出したレポート「在日朝鮮人について」(2006)


 私が在日朝鮮人、あるいは朝鮮半島の歴史、状況に関心を抱いたのは当初、何ら学問的な関心ではなかった。けれども私はあえてその事実から授業に対しての感想と、自分のなかの展望を書き始めたい。

私はある夜、テレビでアルフィーの坂崎幸之助らが歌っていた、「イムジン川」という一昔前のフォークソングに耳を奪われた。私は驚いてさえいたと思う、諸事、他国の不幸には無関心な日本の聴衆にかつてこのような歌が届いていたのであり、このような一面では政治的な歌がなんと心を揺さぶることか。私は朝鮮半島の歴史、及びそこで暮らし続ける人々への眼差しを、その時初めて開かれた、といっていい。それまでは留学先のフランスで知り合った韓国人の友人、あるいは大学で所属していたサッカー部のマネージャーに、いわゆる「在日」の仲間がいたことはあっても、ことさらにそれが問題として自分が関与するものとはなっていなかった。けれども一つの歌がそこにあった見えない膜を破って、同じ心情を共有するきっかけを与えたのである。
私の素朴な心情は、自分が幼少の折りを過ごしたオーストラリアのような無条件な多民族国家を目指したものを日本という国においても見ていこうという夢想を抱き続けているといえる、様々な現在も続く社会的現実、課題は置いておいて。コスモポリタンな無国籍な心情というのは一時の流行的な心情であったかもしれないが、誰もが無国籍な隣人関係としての「在日」を考えることは、授業を通して知ったような様々な国家管理や民衆レベルでの差別、国際情勢による圧迫といった文脈からすれば、軽薄に過ぎると思われる。逆を言えば、我々の世代の一部が抱くようなコスモポリタン的な心情には差別はないのかもしれない、あるいは少なくとも私には。しかしもし私がそう言い続けるためには、これまでの日本の文脈でいかに在日が存在してきたか、歴史学や文学、あるいは記録、ニュース映像を通して洞察して行く責任と問題に向き合う、持続、継続性が必要なのではないだろうか、ということを私は授業を通して考えていた。
授業で先生が提供される資料、情報はたんに情報なのではなく、一つ一つが我々の異議や不満を呼び起こすような社会的、政治的現象、そして我々に何らかのリアクション、行動を呼び覚ますものであると思う。少なくとも私が在日を同胞として日本社会の中で感じ続けるためにはそのような心情をあらゆる社会的文脈で示し続ける必要があると思う。
その上で、現在に至る社会的文脈というものは、まず動かしがたい事実として、ないがしろにしてはならないものだし、さらに現在の名において乗り越えられるべき目標を設定しなければならない。私自身は、自分に学者としての適性があると思わなくなったことには、事実を踏まえ、文章を編み、それを伝えるということ以上に何かできることがあるのではないかという切迫に囚われたことがある。他方で社会運動らの無力さは私を虚無の内に留める状態が続いているかもしれない。
状況を乗り越えるのにクリティカルな情報、知識は何か、何が人々の心情を一方から他方へ動かすのか、それは一概にいえることではない。文学やその他の語りが人の心を打つこともあれば、同じ経済的、社会的困窮を通して共感が生まれることも、あるいはただ歌を通しての共鳴がある。
私は「イムジン川」を聴く前は、むしろ自分の専攻であるモンゴルやフランスで出会ったアラブ人の抱えている問題について意識を持っていたが、それが対象を在日や朝鮮の人々へと対象を変えていった一つの要因として、自分が日本に帰ってきてそこに住み続けることを意識し始めたことがあると思う。東アジアのなかの日本で自分の残りの人生の大半を生きていくであろうという自己基盤とともに、そこでの社会問題を自分の問題としていくらか引き受けようという態度が生まれた。
そのような思いを抱えた私にとって、少なくとも戦後の在日の歩みを追って行くことは単なる他者の物語ではなかった。私自身が初等教育を外国で受け、現在は日本国民として無国籍や他国籍であるよりは何らかの恩恵があると思うが、そのことが幸福である日本の私、と即、なるわけではない。私には私の日本への抵抗の歩みがあり、そこに在日と共鳴するような問題や、あるいは連帯できることがあるのではないかと思う。
それが安易な握手以上の意味を持つためには、我々が在日の歴史と現状を少なくともいくらかは「知っている」という定立基盤が要るのかもしれない。私は学問だけがそのような情報、知識なのではなく、例えば、大学のサッカー部で韓国人留学生と過ごし、徴兵の実体などを少しばかり聞いたりといった、社会的に構成された日常といっていいものが重要だと思う。少なくとも外大とはかつてそういう場であったし、現在もそうであるだろう。
そのような経験を通さずには知は何らの行動の原因ともならないであろうし、知識は人を動かす限りにおいて現在に意味を持つと思う。例えば、在日朝鮮人の統計的な所得と日本人のそれの比較が我々にある印象を与えるのであり、我々はそれに対し、何らかの応答を求められる。日本国の国家が在日を法や、行政的行為を通して「扱ってきた」ということが我々の痛みともなり、またそれが我々自身が「扱われる」ときの国家のあり方の似姿であること我々は感づき、そこから価値判断、行動規範を導き出しうる。そしてそこにおいてこそ、在日の彼ら、彼女らと日本人である我々の差異は消え、我々は互いに似姿を見出すのではないだろうか。「彼ら(彼女ら)」研究対象として客観化しつつも、我々がそこに含まれないような冷えた知識では、それは学問としてもおそらく意味がなくなる。少なくとも学問が我々に有益であるために。
私はいわゆる通常のレポートがこの授業に関しては書けていない。私は講義を聞きながら、何度も「じゃあ、どうすればいいんだ」と自問したことだろう。私はこのレポートで、自分が授業を通して得た、知識を確認、再構成することを欲してもいないし、できていない。
授業を通して知った、歴史は過去から現在を規定している過去であるが、その知識を通じて現在における解決を求めるとするならば、では、在日の解決とは何か。我々は在日のユートピアをどこに設定すればいいのか、あるいはそういったものが存在するのだろうか。
それは国民国家の解体と、新たな国家像の到来を夢想しているのだろうか、あるいは実現されていない共和国フランスの現状に我々の未来を重ねることが解決なのではないと私は考える。あるいは、具体的な一つの夢として、税関にパスポートの提出が求められない国家間の移動、ということが考えられるかもしれない。けれど授業を通して学ぶのは、いかに歴史的に現在の管理型社会が私たちの夢想を無効にするか、ということである。

「イムジン川」という歌では、国境を越えて行ける祖国を結ぶ平和の使者である鳥を歌っているが、「誰が祖国をわけたのか、」という問いは何も朝鮮民族だけのものではない。例えば、モンゴル民族も、大きくはモンゴル国と、中国の内モンゴル自治区に分断され、もはや統一など未来永劫に望めないと思われる。
では、日本は分断されていなからいいね、と言えるかと言えば、私はたとえ国家が二国に分断されていなかろうが、我々の感じている疎外、在日の感じているであろうような疎外は、あえて「イムジン川」の歌とずれてはいないと思われる。
パスポートがない、ということはパスポートがある(パスポートを発行する国民国家がある)ということを前提としている。そのことにふと在日とは違う角度から私は気づかされた。フランスから帰り、私はもうフランス人である可能性がないのだ、日本人として20代の半ばから国内で生きるのだ、と思った瞬間、私は永遠に国内に幽閉されたような感情を持った。また帰ってくるために旅に出るなら、もはや外国に出る意味がないように思われた。
私の変わらぬ願いは、今、ここが、在日を含めたあらゆる出自の人々の国家となることである。工業労働者であるブラジルからの労働者もまた在日であり、日本人と同じ政治的権利、民族的な教育、さらには機会の均等、という言葉に集約されるような状況を享受すべきである。そうすれば私は息ができる、comme ça je peux respire un peu …
もはや、真剣な自分の存在は、そのような夢想の中にしかないように思われる。私は決して実現しないことを望む、ということを続ける選択をしたのかもしれない。それが学生運動などの無力に冷めた我々の世代が担う、決して熱さない夢だとも言える。
正月に高校サッカーで初めて大阪朝鮮高校が全国大会に進んだ。今までは、いかに実力があろうと代表する権利はなかったのだ。私も大学でサッカーをしていた当時は、強い朝鮮大学が2部リーグ以上には規定で昇格ができないで腐っているのを見てきた。
そのような不平等が目の前にあり、そのことに関して現在は改善がなされているが、そのような変化は、どこかおかしいと、と喋り始め、続けていくことからしか変わっていかない。大学というパブリックな閉じられた場で語られることも大事だが、本当に重要なことは街中で、まさに日常の中で語られることである。私が自ら研究者としての道を閉ざし、大学に拠らずに生きることを結果として選んだのは、街の冷めた空気の中で、それを温めていくことができないかと夢想するからである。少なくとも、私は8年間の外大籍の中にあって、大学の中だけで熱している人々が世界を変えて行けるとは信じることができなかった。

結語として、私は在日について、いくらか私の無知を埋めたという思いと、歴史を通じたその立場の傾向性をいくらか知り、今後も関心を持って追い続けるだろう、という自分の意志を確認できたと思う。
私は、「イムジン川」という歌を鼻歌で歌うときは、「平和の使者よ」と歌うべき所を、よく間違えて「地獄の使者よ」と歌ってしまうのだが、私は平和というものをあまり信じたことがない。特にモンゴル民族の分断の救いようのなさに深く馴染んでからは。
だからその分、朝鮮半島の統一は望ましいが、我々の問題としては、在日の人々がより住みやすい日本を望んでいくことだと考える。

以上

2018年8月13日月曜日

ノイズ


安全な語りは誰にでも届くだろう。
不問に付される。
いいね、から遠ざかる。
整合性も
結局のところない。
降りしきる時雨
夢のなかで目覚めているもの。
ポツリ、ポツリと
言葉がふりかかる。
どんな音楽も、全体としてとどまることはできない。
マイルスの歌が キャンパスに描いていく。
境目の籠の鳥、
余韻、沈黙を。

2018年8月10日金曜日

一人称所有格

今、真実の時
そこにはきみはいない
魔法陣も姿を消すことはできない
追い求めてしまう iphoneをね
少し休んでもいいだろう、天の岩戸で。
時を進める記念だ。
一人称所有格の誘惑。

2018年8月7日火曜日

ある建築志願者の相互承認論


  
  私は建築家志願者だ。まずは互いが互いを認めよう、といった場合、「まずは」というように当初からそのことが可能であるか、疑問がある。ある種のプロセスを経て、相互承認へと結びつくのではなだろうか、と思わぬでもない。あるいは、互いが互いに理解、知ることはできないと認知すること、そのこともまた相互承認の一つの形ではないかとも考える。
 そしてこのことを哲学として考えることには、自分の能力は及ばない気がしている、では、小説としてこのことを考えることはできるだろうか、それもまた未知数だという気がする。相互承認はプロセスなのか、あるいは、分かるということは、別れるということでもあるのか。承認は解決ではない、全くの他者、他なるものであるからこそ、承認ができる、あるいは求められるのだろうか。相互承認は、理解とは別ではないか。理解には把握、支配のメカニズムが発生しうる。ところが相互承認では、予め、在るものとして他者が目の前にいることに、諾、と答えることではないだろうか。これは、いささか、冒険ではある。そしてその轍を踏まないことが良識でさえある。そうであったとしても、「お互いよく知り合ったから」というわけでもなく、相互承認があるとき、そこには直観が働いているのだろうか?直観とはこの場合、知ることですらなく、関係性の一瞬の把握、というほどの意味だ。この二人ならばうまくいくだろう、という直観。

 また承認を言葉にする必要があるか?意味にとらわれず、また最初は意味の過剰から出発し、やがて意味が拡散、解消されて行く。失われたものは時間と記憶、得られたものもちょうど同じくらいのものだ。ああ、なんて美しい、時間も心の(さざなみ)も。押し問答や、推量のなかで輪郭を取ってきた生活の縁、なぜ全てが具体物ではなく、解説文なのか。ぼくはまだこの世界に熟れていない。

 あるいは、小説を書き出す際に、自分が悪いのかもしれないとか、善悪で割り切ろうとか、そういうふうに思い出すと、全てが混乱してくる。社会だとか、個人だとか、概念で考え始めてしまう。具体、具象で考えることも場合によっては抽象とあまり大差ない。文や小説で考えるということ自体が一つの倒錯でさえあるだろう。文脈なき文、その人の生のない文章とか、空想、そういったものをいくら消費しても、そこには何も残らないのではないか。
  立原道造は、詩に対話がない、と詩を批判したという。詩が書けなかった頃、ぼくにはその代わりの対話があっただろうか。詩の対話と、建築と、立原は二つのことをぼくに教えてくれた。懐かしむまでに古びた過去、やはりそこには対話はないのかもしれない。想像以上に小説の基底面は広く、なみなみと注ぐ壜の底はまだ見えないし、想像以上に厚太なボトルなんだと思う。
 脈絡のない話だ。古本屋を一軒やるのだって、本棚やら壁やら、物がいる。それが大きな枠組みでは建築なんだ、と思う。物がなくては、人間には枠組みがない。その大元である、家や店を作ろうとするなら、建築はやはり大事だ。その小宇宙に、自分の満足を載せてみるのもいい。人間はついに技術者になる。つまらないことはつまらない。物と人間、また物としての人間。それを追及すると人間はどこに行ってしまうのだろうか。哲学や文学の冗長と同じことを自分も繰り返している。解説文のような簡潔さを持たない。苦々しい思いがするが、まだ暇つぶしに書いていると思っていた頃の方が幸せだった。まだ文学は来るものとして、未来にあったから。ところが、今では文学は過去になり、これ以上、よくなりようがない何かとして、物の下にあるようになってしまった。「初めにことばありき」の前に既に物があったのはよく知られている現代だ。自分の言語への強情な思いは消え、物としての我が、ことばを書いているということ、この不思議さと同時に当たり前さ。自分は人気がない、人々の夢を乗せてはいけない。だとすれば、せめて場所を作りたい、空間へと誘いたい、そう思う。
 
20代の記憶は、読むために書く、というのが主軸だったように思う。読むことが全てだったという気がしている。それはいずれ書くためだとか、そういった理由づけでもなく、ただ読むために、読んでいたのだ。ぼくは自分では、その思いを潔いとも思っていないが、生活は不安のなかでもシンプルだったように今では思う。そして、今思い描く、決してシンプルではない生活、というのはよくは見えないものでもある。何をしたら、どうしたら、そういうことは自問自答のなかだけではなく、世界、空間のなかで考えねばならないことかもしれないことに、気づき始めたというか。
長い準備期間のようなものを通じて、今ある生活が本物であるか、それはよくは分からないが、友人の言う、人生の妙、というものがあるとしたら、それは、過去がいろいろ展開し、未来になって行く、その働きにあるのかもしれない。
とにかく、書物からではなく、世界そのものと向き合ってみなければならぬ、そこから、現象学というか、物事をはっきり見ることは始まる。Clair voyantと外国語で言わなくてもいいが、世界をはっきり見ること、これは、意識していいことかもしれない。
 例えば、座るという動作を巡る現象は、政治による現象よりシンプルだと言えるだろうが、それでも分かったものではない。座るという運動にはあるいは、対話、他者がないかもしれない。しかし、政治には他者があるか、というと、これもまた分からないのだ。ただ政治は社会を巡る現象の一つであり、そこでの明晰性はやはり一定の限定を受けるだろう。つまり、政治は明晰でないこともまた多いのであろう。
あるいは、逃げる、漂う…一つのことへの集中から拡散し、離れ続ける。そこには生産性のようなものはなく、ただ遊びだけが残っている。そして、これもまた一つの思想なのだ。言語が物事をはぐらかすからではない。存在そのものが存在をはぐらかすのだ。やはり物事は明晰ではありえない。それはくぐもった何か、なのだ。口ごもる何か。いくらことばを連ねてもそれが真理に化けることはない、そしてその「音曲」に真実が宿ると感じるかどうか、とさえ思う。真理は意味であり好みの問題ではないかもしれない、しかし、意味は意味として、また好みは好みとして、別のものであるともいえないのではないか。真理は、意味として、あるいは音として認識されるのか、それとも、視覚として、空間として、一気に把握されるのか、それはほんとに分からないことで、いっそ、アートの領域があるかもしれない。物事はどんどん分野を越えて、拡散していく。あるいは、存在そのものは、変化しないまま、存在を捉える各分野へと視点ばかりが、変容して行く。

そして存在もまた愛の問題に言い換えられないか、と思うのだ。「愛に迷う」、「愛がことばにならない」、全部しっくりくる。相互承認と愛との関係、あるいは、相互承認が別れではないか、とぼくは書いたか。そのときから、ぼくは愛を背理では意識していたと思う。愛は、全ての人が心を砕き、心を引かれていることでありながら、それだけに控えめに語らざるをえない何かだろうか。愛の問題は多岐に渡る。それは犠牲を要しない。愛は恨むこともない。私は、反語で書いている。愛について人は犠牲を強いられ、何かを恨むだろう。
色街から音楽が聴こえてくる、ものがなしい音楽だが、基底音は力強いビートなのだろうか。愛について人は迷う、そして迷いを捨てようとするほど、土壺に嵌る。悲しい街が、今日も歌っている。まるで存在しないかのように、霧が立ち込める。叫びが上がる。調和を乱す。これは街の素描に過ぎない。この街では人は愛と交渉する、愛を買おうとする、だから何か悲しいのだ。ここで色街の素描を続けて行くのも、あと少しの時間だろう。ぼくはやがて引っ越してしまう。色街は色街としてどこに行ってもあり続けるだろうが、自分が10年過ごしたこの街から離れてしまう。
愛が信じられないとか、愛がないとか、そういうことを言いたいわけじゃない。ただ、愛に価値なんてあるだろうか、と思うのだ。泣いたり、引っ掻いたり、そこまでして訴えても、帰ってこないもの、帰ってこない魂、人。そうまでして生きていたいか、と思うのだ。これは反語だろうか、自分は反感を書いているのだろうか。誰も信じぬ、というのは、誰かを信じているのだろうか。魂などない、何にもない人間。それで何の話をするというんだ。悲しいし、疲れた。ぼくは信じていない人をどうしようというのか。忘れてしまいたい。何もなかったことにしたい。
とある時代、ぼくはある日、階段でおじさんとぶつかった、小競り合いがあった、それくらい孤独で荒んでいた。そのおじさんがいい人だったから、救われた気もしたが、まだまだ戦いは続いていると思っていた。その足で大学に行った。休講で帰ってきた、それだけのこと。
ぼくはそのことを思い出し、書こうとすると、どっと疲れてしまうのだ。腹が減るから食べるのではなく、ただ決められたから食べるような、そんな生活。

 ぼくの投げたメッセージ、中身なんてないさ。ただそのままで、そこで流れて、生きて、呼吸し、孤独を噛みしめ、エラ呼吸さえして、魚になる。肴でさえある。人の不幸は蜜の味、と聞いたことがある。人の不幸を肴に、酒をくらう。そんな悪趣味は捨てることだ、不幸ならたくさんだ。あれら偽物の人間たち、ぼくの怒りが天に届けばいい。
 父と母を信じないから、誰も信じないと言えるだろうか。自分には心の底まで見えない。底などあるか、という問いもある。深みとか、浅さ、とか、そういうことでもない。
 ただ一つ言えることがあるとすれば、相互承認は勇気だ、愛する勇気だ。それがなければ、別れるだけのことだ。中身なんてない。ただそれだけだ。
 これでぼくの相互承認論は終える。これ以上書くことには意味がない。

 ※
(後日談、この恋愛譚と決意は散々の結果として幕を閉じた。入院2回、身体と精神、まさに心身ボロボロになってやがて諦めた。国境を越えて、堰を切る、サイコロを投げるようなことはやはり謹むべきであって、喜び、楽しみのない、見つめ合いもないような愛はものにならない、ということである。結局、飛行機に乗って会いに行くこともなかったのである。そういう不毛な思いよりは、家を建てる設計でもしていた方が良いと、青年はやがて二級建築士の資格を取ろうと思う。そこからはまた別の建設的な苦難があるだろう。)

御舟真鶴


2018年8月5日日曜日

冊子「甦 Re birth」創刊!



2018年8月/B5/82頁/¥390

詩人の究極Q太郎さん編集で新しい同人誌が創刊致しました。
新宿・模索舎、中野・タコシェで入手可能とのことです。
以下、若干ですが、冊子を読んでの感想です。

冊子のアレクセイ・渡辺さんの「汚れた血」という未完の小説を読んだ。統合失調症の女性が、子どもを産みたい、孫も見たい、未来永劫存在したい、と語る姿に、フィクションじゃないと誰も言えない願望を見た。
遺伝子的に劣勢だ、遺伝する、と何度も何度もサンドバックのように言われ続け、それを理解するだけの大学出の教養さえある。
いっそ、愚かにやっちまえる他の女を憎む。
そういうことを書いているんだな。

秋の歌  ヴェルレーヌ



   深い嘆き
 ヴァイオリンたちの
 秋
 ぼくの心をぶち破る
 物憂いような
 単調さ

 まったく息が詰まる
 そして青白い
 時を打つ音

 ぼくは思い出す
 古い日々を 
 そしてぼくは泣く

 そしてぼくは行っちまう
 悪い風に吹かれて
 ぼくを運んで行く
 こっちに あっちへ
 まるでそう
 枯葉みたいに

注目の投稿

見たことのない海が見える(佐渡山豊、アコパ・ライヴレポート)

   一応、ぼくたちはクラス分けテストを受けている。  それぞれが違う学校にも通ってきた。  いい塾があり、いい学校があり、その先にもいい会社がある。  「つまらない」とぼくは旅に出た。父親の許しを得て。  好きだった恋人とも離れ、「つらいだろう」と父は...