2018年2月5日月曜日

桃源郷から竜宮城まで;高円寺一揆の放つ光の届くまで!

 


音で通じ合う。
 いい作戦だと思った。
 国際交流の「国」をぶっ壊せ!
 ぼくはそうずっと思ってきたから、
 高円寺一揆には、NO LIMIT TOKYO以来、参加した。
 その全貌は各人の心の内にそれぞれあるから、高円寺一揆の一素描をささやかながら書こう。


 SHOW BOATというライヴハウスで、ロバート DE ピーコ、ぺぺさんが歌うというので、行ってみようと思った。ぺぺさんは、ナントカBarでよく歌ってらっしゃるが、ライヴは初めてだった。納得の声量とコンセプト、歌詞が直球で、かつあくまで歌、音として響いてきた。ユーチューブに400曲あるとおっしゃっていたから、追々、聴くのが楽しみで、作詞、作曲をされている林大さんに、歌詞の英訳があれば自分がしたいです、と申し出て握手をしてきた。やはり、国際交流なので、言語としての英語、歌のタイトルだけでも、最低限英語で、というのはあると思う。これを覆して、韓国語、中国語等でも観客とコミュニケーションを取る、ジェロニモ・レーベルとの出会いが、昨日のライヴの最大の出会い、収穫だと言えるが、もう少し時系列的に、後で語るべきだろうか。
 
コミュニケーションには浅さと深さの両方が要る、というのが私の考えだ。
 軽くみんなに声をかけられる人もいれば、話を深めることも大事だ。
 この二つの才能に支えられて、人と人との轍を超える、心を渡すのだ。また、もう一つにはエロティシズムで人間の関係性を惑乱させるという要素も、主に女性の側から高円寺では提起、represent, されている。このことの意味を自分はもう少し測りたいのだが、それは今後の次の課題だろうか。



 
 ぺぺさんのしょっぱな、圧巻のライヴの後は、時々、ライヴハウスから出て外の空気を吸いながら、また中に戻るという形で、昼の3時から延々、10時半頃まで聴いていたのだから、体力勝負でもあった。
外で佇んでいたら、わんぱく・ジャンキーズという先程聴いたバンドのギターの方が声をかけて下さった。おもしろい音、ドラムとベースとギターで、フリーに弾いているときが現代音楽(クラシック)にもJAZZにも聴こえてきた。気になっていたので、お話をいろいろさせていただき、お酒やオカシなんかもいただきながらお話を伺った。
 ドラムのボブさんの音には、心臓のあるべきリズムを刻んでいただいた、という印象すらあり、どういう方なのか気になっていたのだ。ポートレート、写真も撮らせていただいた。


 ここでも、バンドでも、軽さと深さ、という二つの要素で音域も伝わる何かも、出てくるのではないか、という印象、を持った。ギターの方のフレーズも、もうちょっと深く聞きこみたい独特の軽みがあった。ベースの方も気さくな方で、30年やっていると話して下さった。ニューヨークなどへも演奏に行かれたそうだ。
 
 
 そしていよいよ、ジェロニモ・レーベルについてだが、まず物販でTシャツを見ていたら、かっこいいのがあったので、何気なく手に取っていたら、ボーカル・ギターの方が声をかけて下さった。次の次、ライヴをやります、ということだったので、どんな音か、知りたいと思った。開演前からギターを少し弾いていた方だったので、よほど音楽が好きな方だという印象があった。
 圧巻!絶望、今必要なことを歌うというスタイルにアフリカのジェンベ、そしてドラムのバンド。ドラム二つでベース抜きというのも新鮮だったが、その歌詞と歌詞が文字にならない勢いが完全に日頃の鬱憤を晴らした。ぼくが笑うことは滅多になく、長州小力をキレさせるより難しいと思うのだが、若いバンドで憂さが晴れたのはほぼ初めての経験ではないか!


 CDも物販で買ったので、後で聞きこむが、放射能を歌い、必要な声を上げることがロックだということを思い出させてくれた、それは創造、creationそのものだった。客席との多言語なやりとり、音だけではなく、言語でも越えてやろうという意気がうれしかった。


 
 最後に、インドネシアのバンドのムハマド・ファーリさんとの話、交流について書いておきたい。
 「インドネシアはフランスのコロニゼーションもあったんだよね」、という話をしてみたのだ。最初に話かけてきっかけを作って下さったのは、タコじゅんさんだったと思う。その後、ちょっと踏み込んだ話を始めてみたのだ。すると、ファーリさんが、お祖父様の話をして下さった。
 旧日本軍による占領下、日本語教育を受けていたお祖父様は、ある日本の昔話、物語を憶えていて、子どもの頃のファーリさんにお話していたそうだ。その物語こそが、竜宮城の「ウラシマタロウ」であったようだ。ファーリさんは、「ウラシマタロウ」を自分の娘に読み聞かせたいとおっしゃるので、ぼくは本屋で是非それを見つけて上げたいと感動してしまった。結局、二人で高円寺の駅前の本屋に行き、そこで浦島太郎の子ども用の本を見つけることができた。


 述懐、反省よりも事実だけを書こうと思ったが、最後に自分がなぜ、ウラシマタロウの話に感動したのか。ファーリさんとも話したが、ガムランなどインドネシアの音はヨーロッパの音階には無い音、あるいはずれていることなどを聞き、それは佐渡山豊さんのいう、B♭のバラードだなと思った。つまりジャズもそうだというが、決まり事から半音ずれていたり、より自由なのが、音楽ではないか!
 ファーリさんの聞いたウラシマタロウも、軍制下の植民地教育のなかで、その枠組みを超えて伝承された物語が「ウラシマタロウ」なのではないかと自分は思った。それは八紘一宇の下にあることよりも、ヤマト、内地、沖縄、そしてちゃんぷるの語源であるインドネシア語圏との交流を示している。ファーリさんは氷河期の頃、インドネシアはタイなどとも陸続きで、似たような言語、語彙がたくさんあるとおっしゃっていた。これは、日本も氷河期の頃、中国、朝鮮と陸続きだったことに対応している新しい知識だった。



 (以上、簡単ですが高円寺一揆の一レポートです。お読みいただいてありがとうござました!)

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