2018年1月15日月曜日

原発いらない いのちが大事の歌 -7年間のプレリュード-

 
詩は沈黙を必要とする。器楽を横に置いて。
 
 4児の父、詩人、関久雄さん。
 あるいは母子避難。客観事実は何を伝えられるだろうか?
 全ての父母は完璧ではなく、その肉声をこそ聞かなければならない。
 京王永山駅に降り立った。2018年、1月14日。
 公民館と図書館の一角、視聴覚室に関久雄さんはいらっしゃった。昨年、お会いして以来、連絡はとれていたが、お会いするのは二度目、「原発いらない いのちが大事の歌」を聴きに来たと思っていた。しかし、会はもっと豊かな深い内実、内容を備え、含み持っていた。その会の全貌を知るためには、知識、時間が限られているため、昨日の会をスケッチという形でふり返りたい。
 
 ……
 おめさん 服 買ってくれんのか
 おらたち 檻の中さ 閉じ込めておきてえのか
 国と 東電の せいだべしさ
 好きで こったに なったんでねえぞい

 ……
 (「ただ いっしょに 泣くか」)
 
 ミュージシャンである以上に詩人の声、叫びが澄み渡った。そこで自分も目が覚めた。休憩時間、トイレに立つと、関さんが話しかけながらとなりにいらした。緊張し、出ないまま、手を洗いながら話をした。
「自分も怒られた気がしました。」
 「そうか、」
 「目が覚めればいいんですけど、」
 と言うと、
 「いやー、緊張したよ」
 と幾分、和らいだ声でおっしゃった。
 昔、東京外語大の外語祭に、鵜飼哲さんがいらしたとき、ぼくはモンゴル服を1年生に借りて着ていて、笑いながら連れションしたことを少し思い出した。関さんの詩のなかの叫びに、ぼくは自分を羞じる前に、自分が生き返るか自問した。「目が覚めればいい」というのは、自分の良心も含めて、魂が戻るか?という自問だった。
 「恐縮です」と、(恐縮しろ)と、初めての大学院面接では迫られ、敬語を自分に使ってしまった。そのとき、合格していたら今の自分もない。
 「今、神がかっている、行けるところまで行く」と関さんはおっしゃった。
 自分も続かねば、と帰りの電車で思った。
 時系列とフラッシュバック、過去が錯綜としているが、恐縮している余裕が今ない。
 
 母子避難、夫が保たない、という。
 夫が福島で一人で働くのは寂しいだろう。
 いくつかの視覚、補助線が福島の他者である東京の自分には必要だ。
 住宅支援打ち切りと引っ越し費用の自己負担と、お金がかかる。仕事と子どもの安心の両立。
小金井公園で桜の花びらが一枚足下に舞い込んで、それで初めて満開の桜を見上げた、というほど忙しく、疲弊し、食べ物を探したり、ということだった。桜を見た8歳の子どもは、故郷の公園の桜こそ見たいのだと、語ったそうだ。
 それぞれの7年間がある。自分の7年も。
 会場から関さんが、いくつか質問を募った。
 それに沿ってスライドで、写真を見た。
 福島高校、県内エリート校の高校生が、福島の安全さをアピールする科学に動員される。そういう話があった。地獄への道は善意で敷き詰められている、という言葉を思い出した。
 福島原発内の、大観覧車の腕のような切片が落ちると、さらに膨大な放射性物質が飛散するという。現在、解決方法はない。エンジニア、原発作業員も近づいて作業はできないという。はてまた、東京オリンピック2020、ソフトボールは福島で、という運動もあるとのことだ。「復興」の烽火は、人間の下火か。8割が沈黙し、1割が内ゲバ化、バッシングをし、共に歩める人間は少ないということだろう。
 自分はあえて、政治的批判を今回の文章では加えないつもりだったが、この遠慮は取り払われるべき擬制か。佐渡の月と福島の月は同じだという句が生まれたという。保養活動での一幕らしい。
 固くなった心と身体をほぐして、と保育園の先生の男性が声をかける。「隣の人の肩をポンポンと叩きましょう!」と。子どもにもできることが大人にはできなくなる。
 それでもいっしょに初見の歌を歌う。市民団体、多摩市の有志にもいろんな方が、避難者も含めいらっしゃる。学童保育など、子どもに関われる仕事の方がいらっしゃる印象も受けた。
 悪政を糾弾するというよりも、生き方の多様性を福島の復興のなかで認めて欲しい、というスタンスだと関さんもおっしゃった。
 批判無しには、批判だけでは立ち行かない、「復興」パラダイス。国の舵取りと連動して、政府弾圧は、2017年3月以来の住宅補助金打ち切りという形での帰還政策として、皆、失われたはずの故郷に戻れ、と追い込まれる。さらには、立ち退き訴訟なども。あるいは、民間に払い下げられた差別といっていいか、追い出し、囲い出し。
沖縄、辺野古、高江の民間警備員、機動隊でも自衛隊でもない、人たちのお金で雇われた主体が、住民に対峙する構造を作り上げた政府。
 憔悴すれば、自分を責めれば、追い詰められれば自死。そこに自由はないだろう。
 私もまた力尽きる日が来ないとは言えない、とは思っていない。逆接の逆接で肯定で恐縮だが、敬語と距離感を大事に作った社会はどこまでも階級ゲームに忙しい。日本全体、社会全体を等号で結ぶ言説はあるのか?不安を口にし、保養に行くといえば訝しがられながら、それでも不安なお母さんは保養を考える。他方、「復興」は「交流」を求め、「今度は福島に来て下さい」という声もあるそうだ。
 ボルテージが上がってきた。拍車がかかるところで、この文章を急停止し、「言葉ではなく、行動こそ真実だ」と等式、非等式をいじる。
 
 ヤイ、マメ地蔵! カンダタ様ノ オ通リダ!
 
 押し潰されると恋愛依存症が出る。他にメニューはあるか?神を見出したと関さんはおっしゃる。
 スタンダールの『赤と黒』高校生のとき読んでいた。権力と僧服の象徴のなかで、恋い焦がれ、刑死するジュリアン・ソレル。
 もう4,5人目の恋人のことを思った。電車のホームから。

 歌った歌で、お父さんは、お母さんは、というフレーズがあったが、お兄ちゃんは、というフレーズはなかった。人間、皆、父親になるわけではなくても、自分の父親を思い出しながら、「お父さんは」と歌った。
 

原発いらない、いのちが大事の歌、はアンコールで音頭だった。とてもいい囃子のようだった。

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