2016年12月13日火曜日

楽しさという一般意志-佐渡山豊ライヴ、プカプカ島。

 
 給仕づとめの少年が
 たまに非番の日曜日、
 肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
 ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

 (石川啄木『呼子と口笛』より)

  小田急線の渋沢駅に降り立った。

 佐渡山豊さんのライヴが今夜ここである、ということで。
 あまりに早く来すぎてしまったのは、家にいると、家の用事、空間に圧迫される感じがあったため。早めに新宿に出て、小田急線に乗ったのだ。
 一回り、駅前を歩いた。ここも千葉と同じく落花生が名産品らしい。
 30分くらい散策し、駅前のミスタードーナッツに入った。
 そういえば、アメリカにいる先輩が、ミスドのコーヒーが一番おいしいと言っていた。おかわりをくれたので、改めて飲んでいる。
 
 さて、ライヴの前にあれこれ書くのもどうかと思うが、夏前に佐渡山さんにお会いしてから、約半年が過ぎて12月である。
 前回のライヴの後、少し変わったレポートを書きましたが、そういう分からないところまで書くというのが案外、好評いただいた部分だと思っています。
 また、この間、沖縄とヤマトの間では、高江、辺野古などを巡っても、大きな緊張が生じ、長い歴史のなかではまとめきれない切迫を学生、若者が感じている傍ら、何もしない中年になっていないか、と生活のなかで時折振り返る。それでも時間は過ぎて行くのだが、立ち止まるために、今日、このライヴに来た。

 杉山タケルさんがミスタードーナッツまで来て下さり、ひとしきりお喋りした後で、会場のプカプカ島に移動した。



 批評の根幹は正直であるにしても、この日は並々ならぬライヴを予感させた。ドーナツ一つ食べた後、ミックスナッツとビール2杯で、多少空腹でもあり、また疲れてもいた。
 しかし、何曲かの歌に連れて、気合いが入った。石川啄木を歌う佐渡山さんの歌は、今思えば、初めて聴いたのではない。しかし、それがまっすぐに飛びこんできた。
 苦学生の高校生がリーダーを読む目の疲れだとか、そこには23歳の啄木の良すぎる感性が稲妻のようにも光り、落雷。啄木は20代後半で亡くなったそうだ。
 ライヴの後半では、体が動き出した。
 (すごいよ、でももう知っている)
 という、気持ちも解けて楽しさになってきた。
 古物商の方から聞いた、ニーチェの良さ。いろいろやってみる、表現してみることの良さを教わった。音楽のなかで自分は哲学的な課題に取り組む時間を持った。
 「4人のゲリラ」、これも完成された詩だ。無駄がなく、事物がそのままで、表象も象徴もそれ以上の解釈、音以外での、言葉での腑分けを許さない、完全な詩だ。
 そこから、歌、言葉の意味と情景が浮かぶかを試していた。
 白い狼の群れに、きみの声を届ける情景がイメージできた。
 とにかく楽しかったのだ。
 「すごい!」という批評ですらない、楽しいのだ。
 楽しめる自分も良いと感じられた。
 一般意志はルソーのものじゃない。
 楽しさを求めることこそが、万人の目標、目的なのだ。
 これで一般哲学が成った。できた、楽しいのだ。



 22時半におそらく最後の歌の途中で、ぷかぷかを後にして、家路についた。帰りの電車の楽しさはもう音楽とライヴ、会場の余韻と共に。

 

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