2016年3月20日日曜日

カミール・パーリア「レイプ論争」を読む。

  旅行仕事をしていたときに、トルコ人のガイドさんと話をしていた。
 「結婚もしていないし、子どももいない。」と言うと、
 「ユーハブチャンス!」とウインクしてくれた。
 
これはただのイントロかもしれない。ひとまず、女のいない男、あるいは男たちについて書いて考えてみたい。そこに何か大事な自立の儀式、のようなものがある気がするのだ。江戸時代などなら、若衆宿、というボーイスカウトみたいなのがあったそうだが、現代では高校サッカー部とかがそうなのかもしれないな。高校球児は眩しい!と女たちは言うのである。

 
 しかし、カミール・パーリアのレイプ論争を読むまでは、ぼくはことの真相、性について何も知ることがなかった、と言える。そしてもう語るべきことはない、読むと同時に理解したのだ。獣性、huntingは確かに男である自分の中にもある。それをいかに文明、文化で飼い慣らそうが、これはある。そのことを自覚することで、指先にも、全身に血が巡った。真に自分の暴力性を自覚すること、女に怯えることがまた暴力を引き起こすこと、その戦慄すべき自覚がある。

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