2015年6月15日月曜日

市民とは誰か?-空間、時間のなかで-(論文)




「自分の悲しみや喜びの感情さえ気づかなくなった者が、どうして他者の感情について十分な想像力や共感を持ち得ようか」(野田正彰)

本稿では様々な人びとの言説を組み上げる形で、いわば多声性のなかで話を展開したい。自然、引用が増える。また資料の不備のため、出典を必ずしも完備できないことをおことわりしておきたく思います。

                                             2015年6月14日、東和史




















1.「外国人」と「定住者」の間
 
 「ぼくがパリで幻滅にかなしんでいると思ってもらっては困る。ちょうど僕はその反対だ。いくら醜悪な現実でも、僕はすすんで、現実のためだったらすべての夢を葬ることができるのを、自分ながらおどろいているくらいだ。ああ、これがすこしでも君に書いてやれるのだったら!しかし一体現実というものは友達と分け合うのだろうか。いや、いや、現実は孤独のなかで閉じこめておかねばならぬ。」
(リルケ『マルテの手記』より)

 これは一人の外国人が選択的にパリに住むことを選び、選び続けるときの、気分、感懐をよく表しているように思う。他方、それに対して、非‐選択的な所与のこととして、日本で暮らす姜尚中の次のようなことばは自ずと違う響きをもたらす。

「国家は常に、ろ過装置みたいに働いてくれるはずだと。自分はいい空気だけを吸いたい。不純な存在がいると空気が汚れる。そういう感覚が、人々の中にインプットされている。」

「『在日』を生きるとは、国家と国家の関係によって翻弄される少数者の葛藤を抱え込むことでもある。」

 姜によれば、国家主義と、全く非政治的な、つまり星や花を詠い、感覚的本能的生活の解放に向かうところの個人主義は、相互に無媒介に並存している、という。
 リルケの選択的なパリへの居住と、姜の個人の力を越えた「運命」としての「在日」の状況には一定の隔たりがあるように思う。在日1世とされる金時鐘のことばを借りると、

「もちろん、人間の生命に軽重はない。しかし、(戦争を:筆者註)しでかした側の苦難と、しでかされた側の受難とは冷厳に峻別されるべきものなのである。それが“戦争”の不条理を論じる基本である」

 つまりこの場合は戦争を媒介とした移住者(強制連行・強制移住を含め「しでかされた側」)と、外国人としてではあれ、選択的移住との間の隔たり(リルケ)、さらには移動しない「本国人」(「しでかした側」)の三者、それぞれの立場が考えられないだろうか。
 もっとも、戦争や強制連行を「しでかした側」の国の人間もまた、移動を余儀なくされる局面もある。
安倍公房は以下のように問う。

「すべての心臓が、もう移動のリズムを必要としなくなったのだろうか。調子外れの心臓に、まごつかされたりするような不器用者は、もう一人もいなくなったというのだろうか。」 

いわゆる引揚者である、安倍は、「育ちすぎた国境が、内部で辺境の卵を孵化させてしまったらしいのだ」と、そして「交流ある差別から、断絶した平等」として、外国人、定住外国人、本国人の間の関係を感じている。
 また、ディアスポラ(離散者)としてのユダヤ人において問題はどうであるのか。あるいは一つの国の内部においても、都市と農村という分断について、長くなるが引用したい。
 
「ユダヤ人の都市的性格は、排外主義的なデマゴーグの手による悪意に満ちた手配写真であると同時に、歴史的な裏付をもった事実でもあった。いかに寛大な国王や領主でも、永遠の他国者であるユダヤ人が、その聖なる農村地帯に足を踏み入れることだけは絶対に許さなかった。ただ都市にだけ居住権を認め(ゲットー)キリスト教徒にとっては不浄の行為とみなされていた金融業‐不浄ではあっても、既に国家経済のなかで不可欠の要素になっていた‐に従事させたりすることで、けっこう持ちつ持たれつの関係を維持させていたのである。…土地を所有できなかったかわりに、商業、貿易、医者、弁護士などといった、信用経済の分野に力をひろげ、いやおうなしにその都市的性格をはぐくまざるを得なかったわけである。」
 
 ユダヤ人に限らず、定住者ではある「都市民」もまた、自ずと浮遊する存在であるかのような、故郷喪失者としての性格を持つのではないか。

「『本物の国民』は『本物の文化』の保護のために、反都市的=郷土的なものの力を借りなければならないのだろうか。われわれの文化ためには、母なる大地に素足で立って、都市的な穢れを祓い清めなければならないのだろうか。」
 
 国民であり、定住者であり、本物の文化保持者であるような人を想定すべきだろうか。それに、もし仮にそのような人たちがいるとして、その人たちとの距離をどう量ればいいのだろうか。あるいは、「伝統」として自らを捏造し続ける存在として……





2.人権、自由への希求

 第1節において議論したような外国人・国民、移動者・定住者といった差異を越えるある普遍性を議論するとすれば、それは市民権・人権においてではないだろうか。樋口陽一は以下のように述べている。

「一七八九年宣言の言葉づかいに戻していえば、『人』(homme)であることの『淋しさ』に耐えながら、同時に『市民』(citoyen)として公共社会をとり結ぶ連帯の担い手になること。それが近代憲法の骨格をなすものだとすれば、その居心地のわるさから逃げ出すために、『伝統』や『文化』や特定の宗教を法の世界に招き入れるという方向は、第三世界でむしろ一般的です。…」

 人権、市民権を生きるということは、淋しさから「伝統」・「文化」へと求心力を求めるものかもしれない。このような認識はリルケを巡る、単に西洋における、ある時代背景に固執したものではないと考える。例えば、現代日本の作家である白石一文は以下のように書く。

「人生を豊かなもの、美しいもの、愉快なもの、神々しいものであるかのように説く者たちのことばに乗せられてはならない。そうやって私たち一人一人が『希望』という名の蜃気楼に目を向けた瞬間、私たちは切り離され、何者かが計画した残虐なプログラムの中に放り込まれてしまう。…有限の私たちが生み出せる唯一の永遠こそが哀れみである。それだけが私たちの全体である。私たちをこの世界へと送った者を仰ぎ見てはならない。その者に救いを求めても許しを請うてもならない。」

 白石に留まらず、現代市民であることはある種のプログラムへの適応、ないし葛藤を余儀なくされる。それは個人主義に発したわれわれ個々の問題であるのか、それとも、社会システムの長年の構築によるものであるか。
ECDというミュージシャンは「僕たちは個を尊重するあまり、集団というものを、個人を抑圧するものとしか考えられなくなって久しい。しかし僕たちを管理しようとする者たちにとってそれは都合のよいことなのだ」、と語っている。いわゆる個人と政府の間における中間団体の不在、例えば労働組合の弱体化など危惧すべき点は多い。
 また白石が小説で示したような救いようのなさから、何らかの「伝統」への反動もまた危惧すべき点はある。
本田哲郎神父は「人はしばしば、伝統にのっとる正解を口にすることによって、真実を受け入れることを巧みに避けようとするものです」と語る。いわゆるホームレスの人たちという他者と出会うことによって本田は語る。

「私たちが何とはなしに“思いやり”とか“いたわり”のつもりでやることが、実は相手の人間としての“尊厳”を“殺している”ことを気づかせてくれるのは、この人々です。また社会の通念に従って“これはとんでもないこと”と眉をしかめるようなことが、実は無意識のうちに重ねている、人の心を傷つける差別的な生活姿勢にくらべれば、取るに足りないちっぽけなことだということを教えてくれるのも、この人々です。神はすべての人が、抑圧の痛みを知る人々から学ぶことを求めておられるのです。」
 
 ここではキリスト教については深く立ち入らないが、他者を通じて新たな認識が芽生えていくのを感じることができるのではないか。
 
 再び樋口のことばから人権の問題を考察したい。

 「『人』権保障は、階級をこえる『人』一般を想定することによってすでに階級対立を隠蔽するイデオロギーとされ、権力分立は、ブルジョアジーの支配という実体をかくしながら、労働者階級の権力獲得をさまたげるものとされた。しかし、その批判は、近代憲法原理を生み出した『西洋近代』そのものを否定するものではなかった。」

 一口に人権といっても、それは孤立した個人のものではない。日本のなかでは家族の持つ役割は大きいのではないだろうか。若者の就労不安を補っているのは家族制度に依る部分が大きく、福祉社会としての役割にも軽重がある。

「日本の家族のあり方についていえば、一九四五年以前のそれと西洋近代家族のあいだの『家庭』は『相当』以上というべきであった。『忠孝一本』のイデオロギーのもとで、『親に孝たらんとすれば君に忠たらず』という中世的な迷いはもはやゆるされず、『家』は、天皇制権力に対する矛盾となるよりは。支配を草の根にまでおよぼす下請けの色合いを濃くしていった。」

他方で、家庭、職場と並んで人の居場所である学校教育の場についても樋口は、

「不良になる自由、落ちこぼれる自由さえ認められて、生徒の側は突き放される怖さのなかで踏みとどまるかどうか。それが、自由とか人権の問題に深く関わってくるのです。言い換えれば、自由や人権は大事だからみんなで守りましょうという姿勢自体が、問題だと思います」

と、語っている。
 以上のように人権を巡って、人々の居場所における議論、家庭、職場、学校における議論が重要である。

人権はそこに自ずと自由を求めるものである。個人主義の淋しさから中間団体における自由への志向を通して人権の問題を扱ってきたが、次節ではそのような場を今度は時間において捉えなおす歴史の問題として考えてみたい。










 3.歴史と全体性、その批判
 
 ここで少し視点を引いて、ハイデガーの哲学について学んだことから、歴史がなぜ人間存在にとって重要であるのか、またそうでないのかを考えてみたい。

高田珠樹は以下のように書いている。

「…言語や判断の根底における真理や意味が、生という根源的な領域の中でどのように湧き起こり構造的に分節されるのか、という問いになってゆく。さらに、この根源的な生の中に、歴史的に形成されてきた様々な意味組成が層をなして沈殿しているとなれば、自分たちの言語や判断の中にある歴史的な層を解きほぐすという課題が生まれてくる。」

やや、ハイデガー調のことばつきにはなるが、事実的な生が、自らその生を振り返り、自分の内に宿る歴史的な作用や、さらにその下方に潜む根源的な経験を想起すること、それがハイデガーの考える「哲学的な思索」であった。

その一方で、ここでは他者の問題を論じているであろう、ジョアン・コプチェクのことばを採録したい。ハイデガーがあくまで存在及び自己の問題を扱っているとしたら、コプチェクにおいて歴史の問題は他者に開かれているのではないだろうか。

「或る歴史上の人物の苦痛や快楽がどの程度のものであったか、われわれにはただちに判断できないとしたら、それはその人物の主観的なポジション、その私的な心の領域にわれわれが入り込めないからではなく、その人物が属していた社会という客観的な領域に入り込み、思考の諸カテゴリーを見きわめることが容易ではないからなのだ。」

引用をコプチェクからもう一つ。

「歴史主義がどうしようもなく駄目なのは、歴史の経験を再構築するのが不可能であるから(これまた心理主義的な異議の唱え方だ)ではなく、この構築が、再構築されねばならないのは経験であるという信念、歴史上のある時期についてわれわれが語る真実でかつ筋の通ったことばは、当時の人々がどのように考えていたかを経験的に一般化するはずだという誤った信念に、頼らなければならないからだ。」

 歴史を考えることはおそらく全体性への志向と関連がある。全体性を意識するからこそ、歴史を志向するのではないだろうか。再び高田のことばを引用したい。

「ただ全体といっても、それは一挙に全体がそのままトータルにわれわれに知られているのではなく、個々の物や営みの彼方に常に漠然とした『その向こう』として予想され、個々の物が有意味なものとして出会われることを可能にする地平である。」

「個々の物との具体的な関わり合いに先立って、理解が意味や帰趨を開示していることを、ハイデガーは『理解の予備構造』と呼ぶ。これに照らされて、個々の事物は常にある具体的な何かとして出会われるが、このことは『解釈としての構造』と呼ばれる。」

 ハイデガーの理解では、自己の内に予め理解させる「予備構造」があるから解釈は可能であるし、そのことが全体性への志向とも関連があるのだろう。これに対し、コプチェクを再び引用すると、

「世界とは自己矛盾的な概念であるということ、果てしない進行〔現象の系列における〕の絶対的な〔無制限の〕全体性などというものは、定義からして思い描きようがないということを示すことによってなされる。」

 つまりコプチェクは全体性というものを志向すること自体が間違いである、と述べている。それは歴史主義への反対でもある。歴史は自ずと「伝統」という保守にも行き着くであろう。そのことはまた排除の構造さえ連れてくる。このことは、コプチェクがアメリカという「新大陸」の知識人であることも関連しているかもしれない。ここでは、歴史をアメリカではどう扱うかという大きな問題を追求することはできないが、歴史の過度の重みから自由であることも、「新たな」人間を連れてくる。



 小結論

 ここまで駆け足で、都市の気分とその空間性、時間性(歴史性)に対するスケッチを試みた。さらなる考察は今後に期さなければならないだろうが、最後にアメリカ大陸のことへの関心が顔を出したのは、数年前に筆者自身が書いた論文として興味深い。そこには、ヨーロッパとアメリカという2つの軸で考えようという企図が芽生えている。

筆者は先日、コロンビアのサルサなど、中南米の音楽で踊った初めての経験を持った。これは新たな明日への胎動であり、また過去の関心への回帰である面もあるだろう。高校生時代、ピアソラブームに乗っかっていたことを思い出す。おそらく、考えている以上にハイブリッド(雑種的)な時空間である中南米への関心を呼び起こしたところで、本稿を閉じたい。

 まず所与、そこにある出来事、いる人びとに触れ、その人達や自分たちの権利である、共通の人権を考察し、その人権をさらに深めるというよりは、歴史性に足を取られそうになりながら、コプチェクの引用によって、人権も人びとも新たに救い出すこと、その小さな光は見えたのではないか、というのが小結論です。
 お読みいただいてありがとうございました。
 
 (以上)

 

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