2015年6月23日火曜日

歌う者と聴く者の真剣勝負。 友川カズキ論序章

  歌う者と聴く者の真剣勝負、友川カズキさんの空間はそうだと言える。
 これに似たものといえば、ソルボンヌのアンフィテアトル・ギゾー、ギゾー講会堂での講義以来か。そのことにふと思いついたのは、人が歌っているのに、真剣に聴かないで後ろでお喋りが止まらない、そんな弱い聴衆の存在だ。ソルボンヌの講義のように、高い張り詰めた空気と語りに耐えきれる人間はそうはいない。あの温度、冷たさ、そして教授からほとばしる熱、やはりそこにしかないものだ。
 
 友川カズキさんについて書くことを自分は禁欲してきた。というのも、友川さんにはファンやスタッフが大勢いるように思え、そこに自分が新規参入するのを少し躊躇したのだ。

 今まで友川さんを、現代の石川啄木、とかお茶を濁して、少し崇めて距離を取ってきたが、その垣根を今越えよう、もうライヴにも3度行って聴かせていただいたのだし、自分は友川さんのファンだと言える。


2015年6月15日月曜日

市民とは誰か?(エッセイ)




「自分の悲しみや喜びの感情さえ気づかなくなった者が、どうして他者の感情について十分な想像力や共感を持ち得ようか」(野田正彰)

1.「外国人」と「定住者」の間
 
 「ぼくがパリで幻滅にかなしんでいると思ってもらっては困る。ちょうど僕はその反対だ。いくら醜悪な現実でも、僕はすすんで、現実のためだったらすべての夢を葬ることができるのを、自分ながらおどろいているくらいだ。ああ、これがすこしでも君に書いてやれるのだったら!しかし一体現実というものは友達と分け合うのだろうか。いや、いや、現実は孤独のなかで閉じこめておかねばならぬ。」
(リルケ『マルテの手記』より)

 これは一人の外国人が選択的にパリに住むことを選び、選び続けるときの、気分、感懐をよく表しているように思う。他方、それに対して、非‐選択的な所与のこととして、日本で暮らす姜尚中の次のようなことばは自ずと違う響きをもつ。

「国家は常に、ろ過装置みたいに働いてくれるはずだと。自分はいい空気だけを吸いたい。不純な存在がいると空気が汚れる。そういう感覚が、人々の中にインプットされている。」

「『在日』を生きるとは、国家と国家の関係によって翻弄される少数者の葛藤を抱え込むことでもある。」

 姜によれば、国家主義と、全く非政治的な、つまり星や花を詠い、感覚的本能的生活の解放に向かうところの個人主義は、相互に無媒介に並存している、という。
 リルケの選択的なパリへの居住と、姜の個人の力を越えた「運命」としての「在日」の状況には一定の隔たりがあるように思う。加えて、在日1世とされる金時鐘のことばを借りると、

「もちろん、人間の生命に軽重はない。しかし、しでかした側の苦難と、しでかされた側の受難とは冷厳に峻別されるべきものなのである。それが“戦争”の不条理を論じる基本である」

 つまりこの場合は戦争を媒介とした移住者(強制連行・強制移住を含め「しでかされた側」)と、外国人としてではあれ、選択的移住との間の隔たり(リルケ)、さらには移動しない「本国人」(「しでかした側」)の三者、それぞれの立場が考えられないだろうか。
 もっとも、戦争や強制連行を「しでかした側」の国の人間もまた、移動を余儀なくされる局面もある。
いわゆる引揚者である安部公房は以下のように問う。

「すべての心臓が、もう移動のリズムを必要としなくなったのだろうか。調子外れの心臓に、まごつかされたりするような不器用者は、もう一人もいなくなったというのだろうか。」 

安部は、「育ちすぎた国境が、内部で辺境の卵を孵化させてしまったらしいのだ」と、そして「交流ある差別から、断絶した平等」として、外国人、定住外国人、本国人の間の関係を感じている。
 
 また、ディアスポラ(離散者)としてのユダヤ人において問題はどうであるのか。あるいは一つの国の内部においても、都市と農村という分断について、長くなるが引用したい。
 
「ユダヤ人の都市的性格は、排外主義的なデマゴーグの手による悪意に満ちた手配写真であると同時に、歴史的な裏付をもった事実でもあった。いかに寛大な国王や領主でも、永遠の他国者であるユダヤ人が、その聖なる農村地帯に足を踏み入れることだけは絶対に許さなかった。ただ都市にだけ居住権を認め(ゲットー)キリスト教徒にとっては不浄の行為とみなされていた金融業‐不浄ではあっても、既に国家経済のなかで不可欠の要素になっていた‐に従事させたりすることで、けっこう持ちつ持たれつの関係を維持させていたのである。…土地を所有できなかったかわりに、商業、貿易、医者、弁護士などといった、信用経済の分野に力をひろげ、いやおうなしにその都市的性格をはぐくまざるを得なかったわけである。」
 
 ユダヤ人に限らず、定住者ではある「都市民」もまた、自ずと浮遊する存在であるかのような、故郷喪失者としての性格を持つのではないか。

「『本物の国民』は『本物の文化』の保護のために、反都市的=郷土的なものの力を借りなければならないのだろうか。われわれの文化ためには、母なる大地に素足で立って、都市的な穢れを祓い清めなければならないのだろうか。」
 
 国民であり、定住者であり、本物の文化保持者であるような人を想定すべきだろうか。それに、もし仮にそのような人たちがいるとして、その人たちとの距離をどう量ればいいのだろうか。あるいは、「伝統」として自らを捏造し続ける存在として……

2.人権、自由への希求

 第1節において議論したような外国人・国民、移動者・定住者といった差異を越えるある普遍性を議論するとすれば、それは市民権・人権においてではないだろうか。樋口陽一は以下のように述べている。

「一七八九年宣言の言葉づかいに戻していえば、『人』(homme)であることの『淋しさ』に耐えながら、同時に『市民』(citoyen)として公共社会をとり結ぶ連帯の担い手になること。それが近代憲法の骨格をなすものだとすれば、その居心地のわるさから逃げ出すために、『伝統』や『文化』や特定の宗教を法の世界に招き入れるという方向は、第三世界でむしろ一般的です。…」

 人権、市民権を生きるということは、淋しさから「伝統」・「文化」へと求心力を求めるものかもしれない。このような認識はリルケを巡る、単に西洋における、ある時代背景に固執したものではないと考える。例えば、現代日本の作家である白石一文は以下のように書く。

「人生を豊かなもの、美しいもの、愉快なもの、神々しいものであるかのように説く者たちのことばに乗せられてはならない。そうやって私たち一人一人が『希望』という名の蜃気楼に目を向けた瞬間、私たちは切り離され、何者かが計画した残虐なプログラムの中に放り込まれてしまう。…有限の私たちが生み出せる唯一の永遠こそが哀れみである。それだけが私たちの全体である。私たちをこの世界へと送った者を仰ぎ見てはならない。その者に救いを求めても許しを請うてもならない。」

 白石に留まらず、現代市民であることはある種のプログラムへの適応、ないし葛藤を余儀なくされる。それは個人主義に発したわれわれ個々の問題であるのか、それとも、社会システムの長年の構築によるものであるか。
ECDというミュージシャンは「僕たちは個を尊重するあまり、集団というものを、個人を抑圧するものとしか考えられなくなって久しい。しかし僕たちを管理しようとする者たちにとってそれは都合のよいことなのだ」、と語っている。いわゆる個人と政府の間における中間団体の不在、例えば労働組合の弱体化など危惧すべき点は多い。
 また白石が小説で示したような救いようのなさから、何らかの「伝統」への反動もまた危惧すべき点はある。
本田哲郎神父は「人はしばしば、伝統にのっとる正解を口にすることによって、真実を受け入れることを巧みに避けようとするものです」と語る。いわゆるホームレスの人たち、他者と出会うことによって本田は語る。

「私たちが何とはなしに“思いやり”とか“いたわり”のつもりでやることが、実は相手の人間としての“尊厳”を“殺している”ことを気づかせてくれるのは、この人々です。また社会の通念に従って“これはとんでもないこと”と眉をしかめるようなことが、実は無意識のうちに重ねている、人の心を傷つける差別的な生活姿勢にくらべれば、取るに足りないちっぽけなことだということを教えてくれるのも、この人々です。神はすべての人が、抑圧の痛みを知る人々から学ぶことを求めておられるのです。」
 
 ここではキリスト教については深く立ち入らないが、他者を通じて新たな認識が芽生えていくのを感じることができるのではないか。
 
 経済、階級の問題に着目した上で、再び樋口のことばから人権の問題を考察したい。

 「『人』権保障は、階級をこえる『人』一般を想定することによってすでに階級対立を隠蔽するイデオロギーとされ、権力分立は、ブルジョアジーの支配という実体をかくしながら、労働者階級の権力獲得をさまたげるものとされた。しかし、その批判は、近代憲法原理を生み出した『西洋近代』そのものを否定するものではなかった。」

 一口に人権といっても、それは孤立した個人のものではない。日本のなかでは家族の持つ役割は大きいのではないだろうか。若者の就労不安を補っているのは家族制度に依る部分が大きく、福祉社会としての役割にも軽重がある。

「日本の家族のあり方についていえば、一九四五年以前のそれと西洋近代家族のあいだの『家庭』は『相当』以上というべきであった。『忠孝一本』のイデオロギーのもとで、『親に孝たらんとすれば君に忠たらず』という中世的な迷いはもはやゆるされず、『家』は、天皇制権力に対する矛盾となるよりは、支配を草の根にまでおよぼす下請けの色合いを濃くしていった。」

他方で、家庭、職場と並んで人の居場所である学校教育の場についても樋口は、

「不良になる自由、落ちこぼれる自由さえ認められて、生徒の側は突き放される怖さのなかで踏みとどまるかどうか。それが、自由とか人権の問題に深く関わってくるのです。言い換えれば、自由や人権は大事だからみんなで守りましょうという姿勢自体が、問題だと思います」

と、語っている。
 以上のように人権を巡って、人々の居場所における議論、家庭、職場、学校における議論が重要である。

人権はそこに自ずと自由を求めるものである。以上、個人主義の淋しさから中間団体における自由への志向を通して人権の問題を考えてきた。


2015年6月14日日曜日

サルサナイト in アフリカ大陸。


Dance.


Les femmes.


Tango.



DJ ルイス氏。



歓喜!


すごく楽しかった。
日本人が率直に踊れるところがあるとはあんまり思っていなくて、
踊るにはexcuseがありすぎた気がする。
「まちがってもいい、そうやって上手になる」
とルイスさんもおっしゃってくれた。

中南米の音楽は踊りときってもきれない関係にあるというのは感じました。
これは新発見。
音楽はおとなしく聴くだけのものではないですね!

次回、も期待します!



2015年6月9日火曜日

フィヒテにおける言語ナショナリズムを解剖する‐諸外国語への擁護(論文)

 
 フィヒテにおける言語ナショナリズムを解剖する‐諸外国語への擁護


はじめに
これがわたしの生まれた故郷 モンゴルのうるわしき国
                   (ナッツアグドルジ、モンゴルの詩人)
 なぜ発話、言語があるのか?
 そのことが気になる。伝達に言語はどれだけ必要か。
 例えば恋愛も会って二秒で決まる、ということもある。
 言葉ではない。
 言葉はだいたい後から来るダラダラした音楽みたいなものかもしれない。
 意味もあるがまず音ではないか?
 最初の直観、感情が大事で、
 言語で説得されること、論理で説得されることはぼくにはないように思える。
 
 一瞬で思い知ったことと、その後の言葉。言葉にならなければ本物ではないかもしれないが、知ることもまた言語を超えているだろうか?
 感情が伴う必要がある。言語学にはおそらくこのことは分析できず、哲学でもある種の神秘性が重要になってくる。


           

序論

 国民国家により締め出しをくう者達がいる。なかでも「第三世界」ナショナリズムではなく、「先進国」においてのナショナリズムによる「城塞化」の手法を分析しよう、というのが大きな目的である。しかし、このように書くことは、予め全てのナショナリズムを、またナショナリズムの全てを悪しきものとして描くことになるのではないか。仮に「第三世界」におけるナショナリズムは容認できても、「先進国」におけるそれは容認できない、という感覚を抱いているとすれば、それは経済的な格差・排除のみに留まらず、社会的格差・排除、旧植民地と旧宗主国の間での継続した歪な関係を意識しているからではないか。
 また西欧における「城塞化」というのは、現代においては、市民権を巡る議論として出発した。移民の統制において、市民権を与えるか、与えないか、という社会権の問題を扱うことが先決である。
 しかし、現代において「城塞化」と呼ぶプロセスが進行しているにせよ、その起源は国民国家成立、あるいはそれ以前にまで遡れる巨大なプロジェクトであるだろう。そのことを歴史に即して、細部に渡り検討することは本稿の目的ではない。
 よって、本稿ではまず、国民とは何か、近年の研究に即して検討することに限定し、今後に向けた理論的準備を行う。その際、フランスのルナン「国民とは何か」、ドイツのフィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」の二つの歴史的テクストに関する先行研究に即して、国民とは何か、仔細に検討したい。
 なかでも、言語と国民国家の関係性を明らかにすることを主眼としたい。これは一見、ルナンの人権を軸とした国民概念よりも、言語を軸としたフィヒテの説を取るかのようであるが、問題は、フィヒテかルナンか、ドイツかフランスか、ということではないだろう。
 このことについては、多言語主義を巡る研究の蓄積からも、二者択一的な言論は控えたい。むしろ、この言語、という迷宮においてこそ、「城塞化」は進行しているのではないか、という仮説を立てて検証してみたい。

 







 

1節 なぜ人権ではなく言語なのか?
 
 国民概念を検討する際にJ.ロマンは以下のように、国民概念が十分に定義されたものではないことを指摘している。

 
 政治学や政治哲学の側に助言を求めようとする者を一つの驚きが待ち受けている。十九世紀    および二十世紀の政治に関する諸概念のうちもっとも実効力もつ概念、もっとも危険な概念であり、もっとも強靭なものであるこの〔国民という〕概念はほとんど体系的な研究の対象とはされなかったのである。…

 ロマンは『二つの国民概念』によって、ルナンとフィヒテの国民概念の比較を試みる。一方で、国民についてのルナンの観念は、現代の民主主義的個人主義と合致した、主権に基づいた契約による「選択的な」国民概念の表現であると見なされている。他方、フィヒテの国民概念も、「いかにして純粋に種族的な考え方が同時に教育に対する要請を支えとしているのであろうか」という問いを喚起する有機的な全体性(全体主義)、即ち伝統主義的な「ホーリズム」の表象であると限定されるものではない。ロマンは以下のように二人の差異の単純化を避けている。


 かりにフィヒテとルナンの国民についての考え方の対立が、彼らのテクストの読解において鮮明になるとしても、単純にホーリズムか個人主義かという対立の観点から二人のテクストを読まねばならないかというと、ことはそれほど自明ではない。また同様に、この対立を単純に伝統と現代性の対立と理解することもできない。


 同様に本稿での目的はルナン(フランス)とフィヒテ(ドイツ)の歴史的文脈を含めた議論の対立点を探ることではない。各々の議論を通じて国民概念を規定している多様な要素を洗い出すことに本来向かうべきである。本稿ではそのなかでも、言語に焦点をあてることでどのような問題が見えてくるだろうか。
 
 
 

2節 言語による国民概念の定立について、絆の言説

 バリバールは論考『フィヒテと内的境界』において、フィヒテの国民概念における言語の特別な位置付けを指摘している。「民族を作るのは領土ではなく、人間が我が身に携えている言語である。国民の一体性は、ただ人間相互の間で生きられた絆の質にのみ存在するから、生態学的ではなく人間学的なものである」。また、「生ける言語は連続的に用いられ、そのことでそれ自身の歴史を自らの内に摂り集めることができる。生ける言語は民族のさまざまな階級の間での直接的なコミュニケーションに基礎を」おく。
 このように言語を媒介としたナショナル・アイデンティティは、生態学的な人種概念を超えたものとしてフィヒテによって、提起されていることに注意しなければならない。
 ルナンが「われわれの政治は国民の法=権利で、あなたがたのは人種のそれです。」と呼びかけた相手はフィヒテではなく、別のドイツ人であるが、フィヒテは、言語においてこそ、人種以上のものを読み取ろうとしている。
 
 
 始源的な言語をいまも話続けている人々がかつてどの種族に属していたかということではなく、この言語が途切れることなく話され続けているということ、ひとえにそのことだけが重要なのです。


 ここで「始源的な言語」と述べられているのは、ドイツのフランスによる被占領下という時代状況において、ドイツ語がフランス語などロマン諸語よりも、古語をより正統的に受け継いでいる、という主張がある。この主張に対してルナンは直接反論したわけではない。しかし、「過度なまでに判然と人類を人種に分割することは、真に純粋な人種を有する国は極めて僅かであることから言えば、そもそも科学的な誤りであり、絶滅戦争や、こういう表現ができるなら、“動物学的な”戦争へつながるものです」、と述べた点について、フィヒテにおける言語と種族の概念にいかなる関係があるだろうか。
 バリバールは、「ある民族を一つの民族たらしめるものの内には、確かに根源性=始源性(l’originaire)への絆が本質的に存在する。だが、この根源性民族の経験的存在ではなく、言語的な起源に対する民族の実践的関係の効果に他ならない(傍点、バリバール、太字、筆者)」、と述べる。つまりドイツ人という存在によって、ドイツ人となるのではなく、あくまで言語的に起源へと遡るその実践によって、ドイツ人となる効果が認められる、ということだろう。
具体的にドイツ語と同系統諸語の関係について、バリバールは、以下のようにまとめ、考察する。

 
ドイツ人と、ゲルマン人を起源とする他の民族との間に彼が刻む対立は、彼らのそれぞれの言語の組成や性質(Beschaffenheit)によるのではなく、「一方が固有のものを保持しているのに対して、他方が疎遠なものを受け入れたという事実だけ」(第4講演)に、換言すれば「純粋性」と「混淆」という事実によるのである。

 ここで、やはりフィヒテがドイツ語の優位性を語っているのは確かである。また第4講演を通じて同様な主張がなされていることにも着目しなければならない。しかし、「生きたものに作用するのは生きたものだけです」(第3講演)と語っているフィヒテにとって、「それ自身生ける民族が生ける言語を作り、生ける言葉が民族の言語に生命を与え、民族そのものを生かす」というバリバールの言葉は妥当であろう。
 このような人間、民族と言語の相互作用について、さらにバリバールのまとめを引用すると、
 
 この人間は言語によって「作られ」はしない。彼は根源的ないし真正な仕方で言語を話すことで、換言すれば言語を無限に変容させ、言語の限界を現に存在するものの彼方にまでもたらすことで、観念を生命の中に浸透させる。(傍点、バリバール)

 
 ここでいう、「現に存在するものの彼方にまで」というのは、フィヒテの用語に従えば、感覚的認識に対する、「超感覚的」なものであろう。フィヒテの講演のなかから説明を拾えば、「この超感覚的部分は、絶えず生き続ける言語においては、国民の従来の全生活から恣意的でなく必然的に生じてくる概念を規定するために、その一歩ごとに言語のなかに貯えられた国民の感覚的、精神的生命の全体を総括しながら、象徴的に存在してい」るものである。だが、これでは超感覚的なものそのものへの説明にはなっていない。やはり、「現に存在するものの彼方にまで」、というバリバールの説明が妥当であろうし、この「超感覚的なものの表現はすべて、表現する人間の感覚的認識の広さと明瞭性に従います」ということからも、個人の表現力の幅、さらには諸言語における表現力の幅の「優劣」に、フィヒテは言及する。

 だがここに至って、フィヒテへの不同意を感じざるをえない。あらゆる言語には優劣がない、という信念を筆者が持っている以上、そしてフィヒテがドイツ語の優位を説く言説にはそれなりの科学性があると思うものの、生きた言語、死んだ言語という二分法はまだしも、「新しいモードに過ぎない言語と伝統に根ざした言語」という分類にはやはり、恣意性を感じる。また実際そういった「科学性」が成立したからといって、それがどうというというのであろうか。フィヒテは少なくとも他の生きた他の言語についても共感を抱くべきであるし、また他の言語への批判には痛快な思いがするものもあるものの、具体的にはどの言語について語っているのか、特定できないものもある。おそらくフランス語に対する言説ではないかと思うが以下のような批判、罵倒もある。

 
 …そのような民族の哲学は、たんなる辞書の説明であるか、あるいは我々のなかの非ドイツ的精神の格調高い表現によると、言語のであるという自覚に安んずることとなり、とどのつまり、そういう民族は、たとえば偽善に関するつまらぬ喜劇形式の教訓詩を最大の哲学的作品と認めるに至るということです。

 
 ここで仮にドイツの哲学が偉大であるのは言うまでもないことだとしても、このような侮蔑は一体どう取り扱うべきか。そこから結論されることにはどうしても承服しかねる。いわば哲理に通じていることと他者への倫理が乖離しているのではないか。
 いずれにせよ、フィヒテが講演において、やや強い表現をもってドイツ語擁護を述べたことについてこれ以上詮索しても得るものはないだろう。ここでは、ドイツ語に仮託されて、フィヒテが言語について何を述べているのか、が重要である。
 フィヒテは言語の創造性について、「…どこまでも生成し続ける言語は、自らを語るのではなく、それを使おうとする者がまさに自分なりの仕方で、また自分の欲求のために、想像的にその言語を話さなければなりません」、と述べている。
 この言語における創造性の問題は、哲学における創造性にまで引き継がれる。「自分自身のなかで完結し、現象を超えて真のその核心にまで突き進む哲学は、ひとつのもの、純粋で神的な生命から出発します」、とあるように、フィヒテにおける、言語、哲学の問題はやがて宗教の問題へと収斂して行くが、ここではやはり言語に限定して話を展開したい。

 ここで視線を少し広げるためにも、時代は大きく異なるがハンナ・アーレントの以下のことばを参照したい。


 …母語に代わるものはありません。母語を忘れることはできるかもしれません。本当です。わたしはそれを目の当たりにしました。その人たちはわたしよりもうまく外国語を話します。わたしはいまだに強いなまりがありますし、慣用表現を使えないこともしょっちゅうです。そのひとたちは皆、これらのことをこなします。しかし、それは決まり文句がつぎからつぎへと続く言葉となるからです。というのも、われわれが自分自身の言語のなかで持っている生産力が、この言語を忘れたときに切り離されてしまったからです。(傍点、引用者)


 ここでは、フィヒテに較べ、かなり狂信的な語調は弱められている、にも関わらず、母語の重要性は指摘されている。母語は現実的な問題として、表現力の規定性を左右する。もし外国語で、何かを表現しえたとしても、より貧弱な語彙で、言ってみれば、常套的な語りに堕すことはありうる。他方でよりシンプルな語彙によって論旨が明確になることはあっても、それは、いわばこどもが、ことばを喋り始めたときにかわいがられるようなものであって、真の母語発話者に対して、外国語で喋る者は常に、「ネイティブ」の寛容さと劣位の間にいるのかもしれない。しかし、このような発想自体が、言語の純粋性であるとか、純粋な母国語がある、ということを前提としている。フィヒテの講演は、外国の影響、外国語のドイツ語への移入への激しい危惧とドイツへの回帰を求めるものである。フィヒテの言論が、占領下においてなされたものであることは再度、確認しなければならない。他者への尊重が成立する条件、言い換えれば、自由が占領下では損なわれるのではないだろうか。またここにおいて言語から政治哲学への架橋もまた可能なのではないだろうか。
 次節では、もっぱらフィヒテと外国の問題を、言語を主に介して取り扱うことにする。そのことによって、他者性、政治性へと問いを開いていく。




第3節 フィヒテと外国・外国語

 「…自分で考え、哲学しながらそれに手を加えていくということこそ、外国から刺激を受けた時代の我々の主要な努力なのですから」とフィヒテは第7講演において述べている。それまでの講演でも折りに触れて外国の脅威あるいは、影響については言及がある。それらを列挙するにはあまりに量が多いほどである。しかしそれらは概して科学的言説に事寄せた感情論の域を出ないのではないだろうか。また、言語がどのように政治体、政治機構に影響を与えるのか、ということもたいへん興味深い点である。以下に少々長いが引用してみたい。

 
 …その思考や意志の要素、すなわち言語において、すでに固定され閉じられた死せる担い手をもつ外国や、その点で外国に追随するすべての者は、この国家技術をどこに向けるでしょうか。疑いもなく同様に、固定した死せる事物の秩序を見出す技術に向けるのであり、そういう死から生きた社会活動が生じること、しかも目論み通りに生じることを望むわけです。社会の全生命は一種の大きな人工的圧力や機構、歯車装置に組み込まれ、そこでは個人は全体に奉仕するよう絶えず全体に強制を受けます。各個人は利己的幸福を目的として欲するものであるという前提から、まさにそのために個人の意思に反して、一般の幸福を促進するように強制しようとして、有限の定数から有効な総量を得るという計算問題の解法に熱中するわけです。…(傍点、筆者)

何をもって死せる言語と呼ぶか、というと、要するに古語から発した言語のことを言うのであろうが、ここにはやはりフィヒテの恣意性がある。何をもって死せる言語と呼び、何が生ける言語であるか?端的にそれはラテン語であるとか、ギリシア語であるとか、そもそも古語そのものだと限定した方がまだいいのであろうか。例えばフランス語など生きた言語をラテン語から派生した死せる言語のうちに含めることはできない。いかに、それが新しいモードに過ぎないとフィヒテが述べるにせよ、その言語を喋って生きている人がいる以上、その言語は生きた言語というべきである。ここでは話を近代的統治一般ではなく、言語領域に限定するため立ち入らない。また、生と死の問題は非常に重要な哲学的問題ではあるが、一つここでいえることは、言語という生きているものを失ってしまうことは決して完成などとはいえないことだ。喪われた言語、というのはあまりにも惜しむべきものである。あるいは、喪われつつある言語をどうして慈しまないでおれようか。
 しかし、ここで少し冷静になる必要がある。この講演が行われた歴史的文脈を離れて、このテクストのみを扱うことはやはりできないからだ。いかに哲学がそのテクストに内在する思惟に集中したとしても、その歴史的文脈と無縁なものではありえない。まして、この講演が危機にあるドイツ国民に向けられたものである以上、ここでいうドイツ国民、というのは、国民というもの一般へと向けられたものであるのではないか。それを言語の特権性を言うことで、ドイツの至高性として発言すること自体への論駁は単に言語学的な問題ではなく、政治的課題でもある。もし仮に「ドイツ精神」というものがあるとしたら、教養小説(成長小説)に見られるように、成長への信奉、人間は成長しうる、という考えがあるように思う。このことはフィヒテの外国批判のなかからも読み取れるように思う。


 …固定して死んだ存在を信じる者は、彼自身が自分のなかで死んでいるからこそ、そんなものを信じるのです。一旦、死んでしまった後は、自己の内面が明らかになると、もう他に信じようもないわけです。彼にとって、彼自身と彼の全種族は始めから終わりまで、なにかある前提とすべき第一項から出て来た第二のもの、必然的帰結にすぎません。この前提は決してたんに想定されたものではなく、彼の現実の思惟であり、彼の真の意味であり、彼の思惟が直接に生きている中心点です。それゆえまた彼の過去である歴史において、彼の未来である期待において、彼の現在である彼自身と他者の実際の生活において、彼の他のすべての思考、人類に対する判断の源泉となるものです。我々はこのような死に対する信仰を、根源的な生命的な民族と対照して外国風と名づけました。…(傍点、引用者)


 あるいはもっと端的に、成長への信頼を謳った箇所を引用すべきかもしれない。しかし、問題はフィヒテ自身と、フィヒテのナショナリズムに内在する悪の問題であると考える。そのことは、外国批判はいけない、理由があったとしてもいけないという思いの他に、いかに自己及び国民弁護、あるいは国民の名における詐称を指摘できるか、という本稿の課題と直結する問題である。
 あらゆる政治家、政治権力の悪に抗して、フィヒテからも以下のような言葉は救い出せるのである。


 …我々のすべての働きがこの地上になんの痕跡も残さず、なんの成果ももたらさなくても、否、それどころか、神的なものが転倒されて悪の道具になり、より深い道徳的退廃のために利用されているということを確信していても、それにもかかわらず、我々のなかに開かれた神的生命をあくまで保持し、神のなかに生じたものはなにものも滅亡することがないという、未来の世界におけるより高い事物秩序を目指すために、ひたすらこういう働きのなかで進むことができます。

                        (了)
参考文献
ドイツ国民に告ぐ / フィヒテ著 ; 石原達二訳 玉川大学出版部 1999
国民とは何か / E・ルナン [ほか] ; 鵜飼哲 [ほか] 訳 インスクリプト 1997

2015年6月6日土曜日

異邦人 シャルル・ボードレール (私訳)



 -謎の人よ、誰が一番好きなのかな?言ってくれ。きみの父親?母?姉や妹?それとも兄弟かい?
 
 -私には父も母も姉妹も兄弟もいません。
 
 -じゃあ、友達かな?
 
 -あなたは私が今まで使ったことのない意味で友達という言葉を使っていますね。
 
 -じゃあ、故郷かな?
 
 -私はそれにどういう風に向き合っていいのか分かりません。
 
 -美では?

  -無論、愛したい。女神や不死であるならば。
 
 -では、黄金は?
 
 -私はそれを嫌っていますね、ちょうどあなたが神を苦く思うように。
 
 -ああ、じゃあ、きみは一体何が好きなんだい?こまっちゃくれた異人さんよ?

 -私は雲が好きです、流れていく雲たち、あっち、こっちへ、素晴らしい雲たち!

2015年6月5日金曜日

歌があった、佐渡山豊がいた、6月4日、よろんの里。




 佐渡山豊さんと、詩を論じる。沖縄のみならず、日本で最高峰の日本語の使い手、作詞、シンガーソングライターに手ずから、作詞法を教われる機会、そういう僥倖に出会った。
 もちろん、日本語を使う人間は人口数と同程度いるが、この時代をリードする預言的詩人、詞人は、友川かずきさんと佐渡山豊さんを置いて、他に今いるだろうか?
 佐渡山さんの歌を聴くとき、その詞が周到に織り込まれて展開されて行くのに、順を追って思考、頭が展開して行き、そして、やがて音量、熱と共に、心におちてくる。自分自身の問題に心がとらわれて行きつつも、杉山タケルさんの軽快な、時には声高にかき鳴らされるギターに、呼び起こされる。素晴らしい時間、そうと言うしかない。
時系列で歌が流れて行くのは、作詩に原稿用紙を200枚費やしたという山之口貘に習おうという誰しも理想とするような詩人への敬意からも発している。詩を論じるとき、もうぼくらは二人とも病者でも何者でもない。ただ詩を論じる喜びがある。
二人とも、詩に心奪われ、そしてぼくは佐渡山さんから何かを継承したくて、ここにいる、いたのだ。





とうとつかもしれないが、姪は「あった」と「いた」だけもう喋れるときがある。詩があった、佐渡山さんがいた、ぼくはそれだけ言いたい。豊島区椎名町、よろんの里に、また奇蹟の時間がやってきた。今は伝えたいことの成熟を、自分も歌で応えたい。そう心底思っています。 


注目の投稿

見たことのない海が見える(佐渡山豊、アコパ・ライヴレポート)

   一応、ぼくたちはクラス分けテストを受けている。  それぞれが違う学校にも通ってきた。  いい塾があり、いい学校があり、その先にもいい会社がある。  「つまらない」とぼくは旅に出た。父親の許しを得て。  好きだった恋人とも離れ、「つらいだろう」と父は...