2014年9月22日月曜日

『バルカン・ブルース』随想。ココデハナイドコカ、へ。

  外語大で使っていたモンゴル語の教科書は、いわゆるソビエト型の読本で、これは苦痛だったが、『バルカン・ブルース』を読んでいると、すごくよく分かる。つまりソビエトという点で東欧の教育とモンゴルのそれは近かったのだろう。
 ぼくは2年生の試験の時期、この教科書と授業に反発して試験を受けずに、同じ時間、図書館で、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいた。
 モンゴル人には逆立ちしてもこんなものは書けないだろうと。
 後で、O先生が進級して3年生になれば、モンゴルとは違う勉強もできるからと、試験を個別で受けさせてくれた。
 ギリギリの温情で、外語大も卒業まで漕ぎ着けたのだが、何度も退学しようと思った。
 大学は最大限の自由を与えてくれたが、その自由故に、大学からも自由になりたかった。
 今は卒業し、自由を享受している。

社会主義のいやらしさはモンゴル語の教科書の嘘くささから学んだ。
資本主義の問題点は何となく生きてれば分かる気がした。
なんというか、この2つの縛られずに、概念で、あるいは物事の枠組みから自由になる術、それは哲学でもないだろうし、ぼくには人間の外に出る試みとそこからの往還が必要だった。
 3年生から本格的に出始めたフランス語科の芸術系の授業というか、あまりに自由で面食らった。こりゃ退廃だなとさえ、バタイユについて聴きながら思った。ちょっとモンゴルにゴッホは生きる余地はないよな、ということさえ思わずに、自由の毒素を深々と吸っていた。
 大学生にありがちかもしれないが、社会からの逃走はモンゴル社会主義にはなくて、まだフランス人、ゴーギャンたちのフランスからの逃走の方が自分には親近感が持てた。
フランスから逃げることをなんとなく許しているフランスに心惹かれて、自由を求めて、フランスに行ったのだ。

今、地図を見ると、イタリアの向こうはすぐにもう東欧であることに気づいた。フランスの東はいわずもがな、ドイツであるし、東欧はドイツの向こうだ。トルコとドイツの近さ、そしてイタリアと直結した東欧というのは今まで地理としては認識できずにいた。おそらくフランスからはヨーロッパとは何かの全貌は見えないに違いない。フランスはしばしば安全な亡命地として機能した「人権」の発祥地でさえある。

 「最近、韓国でフランスへの亡命が流行っています」と先日、ナントカBARで来ていた韓国の人に教えてもらった。ぼくがデリダに求めたのは、移民、移住であり、似たようなものだったかもしれない。

ココデハナイドコカ、へ。


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