2014年6月10日火曜日

ノートルダムと引き接がれる慈悲のこころ。

ぼくがノートルダム寺院で祈ったこと、悲しみを教えてくださいと祈ったこと、それは自分以外の人へと心を開いた時か。ぼくはその時もう十分自分の悲しみは味わって忘れていた。脳と足に異常を感じながら勉強していた。

 パリの記憶はその前の東京を忘れるための逃避行でもあり、また新たな可能性を開いた大事な時期です。

 
写真は韓国国立博物館、弥勒菩薩半跏思惟像

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