2014年5月17日土曜日

デリダに応答するのは今である。


 我が家にはデリダの本が『他の岬』以外はことごとく排除されている。つまり、自分がヨーロッパに行ったきっかけの本1冊以外は本棚から排除されているのだ。それほどまでに欧化した自分の感性を崩す必要を初めて感じた。
あえていえば、自分の論文のなかにしかデリダはいない。何かを書く以上、デリダのことを忘れることはできなかった、というか。
きっかけは西洋階級と日本の階級性、一億総中流は既に「格差社会」へと移行したにせよ、デリダが西洋で挑み続けたのは、この分厚い「哲学」という階級ではないのか?
東琢磨さんと議論するなかで、デリダ没後の日本社会において刊行された企画雑誌等を思い出していた、全部、読んだわけではない。しかし、ぼくが気になっていたのは、デリダのなかのアルジェリアであり、幼年期であり、デリダの西欧での格闘そのものからあえて目を背け続けてきたのではないか、デリダは意味が分からない、ケレンではないか?と。
自分は、レイモン・アロンとデリダとの対比という形で論文を組み立てようとしたことはある。アロンはソルボンヌの中枢に向かったユダヤ系知識人として、そして、デリダは「移民」に留まった、感性としては移民性を大事にした、やはりアルジェリアのユダヤ系であり、また旧宗主国のエリートであり、かつケレンではないか、と。書店ではデリダを手に取る人が多いが、ソルボンヌでデリダの話は一度も聞いたことがなく、アロンの名を賛嘆するように聴いた、自分がアロンを重視した理由は端的にそれだけだろうか。西洋の堅牢な議論、それに心底痺れていた自分は帰国後、一体何者でありえたか。
サルのなかで、サルを笑うサル……、そんな惨めな自分ではなかっただろうか?
今一度、日本にとってのデリダ、ということを考えざるをえない。我々は、皆、ケレンではないのか?サッカーの長友がバナナを食べて人種差別に抗議する姿に、我々はずっと続いている。我々がいつまでも、バナナで抗議しなければならない、サルなのか?なぜ、ふつうにバナナを食べられないのか?そもそも普遍とかふつうとか、誰のものなのか?
自分が自分の階級、人種を問い直したとき、自分がファノンかもしれない、と思うまでの距離はぼくの場合は遠かった。ぼくは日本国民であり、それなりにそれに安住していたから。だが、長話はやめよう。階級の話も、人種の話をするのも、教室に押し込めるか、議論を閉じて開かねばならないのか、それとも、I say, No!とバスの中で言えるのか。
ナショナリズムをグローバル資本とは違う流れで超えて行くこと、全ては資本だ、よろしい、でももう何も言うことはないのか?ぼくらはもう一度、デリダと共に、西欧の哲学というおもちゃで遊んでみるべきではないのか?哲学を理解し、あるいは捨て去るその仕草のなかに。デリダはフランスにフランス語の哲学はいらず、香港でも通じる英語で哲学すればいいと語り、哲学協会の反論を呼んでいたが、このケレン、誰かが言わなければならなかったこと。ぼくはあまりに西欧に従順であった20歳の頃。デリダに応答するのは今である。
デリダはどんな車に乗って、どこに車を停めて、幼い頃はサッカー選手になりたくて、そんなことばかり着目してきたのは、デリダの演じたケレン故か?そうではない、自分が人に向き合う勇気がなかった、それだけだろう。

本当のデリダに出会いたい、そう思うようになった。

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