2014年3月2日日曜日

佐渡山豊さんについて、関心を持った経緯など

 佐渡山豊さんが沖縄の人であること、その沖縄というのはあんまり自分にとっては関係ないとも言える。表現者と表現対象、場所のことはあまり関係ない。日本語表現者としてだけではなく、英語、ウチナーグチも含めて、表現者としてただ優れているというのが最初の発見だった。「俺たちのフォーク」というオムニバスCDで初めて聴いたのだし、他のフォークソングのなかで唯一心に響いたのだ。ヴァレリーがきっかけでフランス語を読むようになったり、アラゴンの影響で詩を書くようになったように、佐渡山さんのことが知りたいから沖縄に行ったのは芸術的関心が主で、政治的関心が全てではない。それまで、いろんな沖縄の人に会ったが、それで沖縄に行こうとは思わなかったし、パリに行くほど、場所の磁力もなかった。政治的道義心から沖縄に行ったのではないのは確かで、ただ佐渡山さんの歌の風景を見なければ、歌のことも分からないと思ったのだ。
 まさか実際、自分が会える人だとは思わなかったし、70年代のCD集を聴いていたわけだから、もう伝説の人なんだろうと漠然と思っていて、遠くからゆっくり研究しようとでも思っていたのだ。しかし、ライヴに行かなければ、「ビン・ラディンに捧げるうた」(後でたぶん、「つむじ風」の「アメとムチ」に改題)も、「ひまわり」も、聴けなかったのだから、ライヴで初めて聴く歌の大事さもある。

 結論とてない文章だが、宮古島には、南方からの歌ではなく、モンゴル、チベットと同じような音律の歌が歌われているという。馬もモンゴルの在来種に近いということだ。山羊も鳩間島にもいたが、山羊もいるらしい。北方の歌が南の島でどう歌われているか、また変化として聴いてみたいと思うのだ。


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