2014年3月5日水曜日

つむじ風、佐渡山豊論:Being there. そこにいること。

  

 つむじ風、佐渡山豊論:

      Being there. そこにいること。


本を書くのではない、一文字を書くのだ。一行を書くのだ。その先にしか道はない。「つむじ風」を聴く、佐渡山豊を聴くということは、全ての音楽を聴くのと同じ方法、形しかありえない。あまりに当たり前のことを言うと、人はぼくを愚かだというが、それ以外に自分が言いたいことはない。聴いていない、書いているだけではないか、模倣の先に何かを付け足したい、それだけのことではないか、自己批評はたくさんだ。不幸な人たちとぼくは切れていたい、あのテレビの笑い声がぼくには阿鼻叫喚に聞こえる。テレビを蹴倒したとしても、テレビの奥の不幸の種まで消す、なくすことが人間にできるだろうか。佐渡山豊の歌に対してできることは共振、共鳴だけである。ルリヲ・フルチ氏も共振した。私にもそれ以外の道があるわけではない。感情の大きさに向き合えるだろうか。音楽は聴いているリアクションが全てだ、私には内省と共振しかない。体を揺らす、音楽に乗る、ということは私の場合はありえない。そういうことは、アフリカのリズムの為せる業だ。佐渡山豊の歌はもっと深い情感に響く。日本語である限り、意味も分かる。詞で聴くのではなく、歌で聴くとしても。翻訳者として私は、佐渡山豊の歌を英語に訳した。この歌は果たして、聴くものが「日本語を学びたい」と思う歌だろうか?それとも、それは日本語を越えて伝わるものであり、日本語ともどこか、切れているのだろうか。この情感、この声量、この奏で。この歌曲は地を奮わせる歌なのだ、地霊の心の底に響く。聴き続ける体力、気力、心があなたにあるか。頭と胸と手足と心で、一心に聴くことができるだろうか。私は私の騒音の中で聴いている。純粋な無菌室で聴くのではない。世の不幸のなかで、すすり泣く笑い声のなかで、私も生きている。自分の音を見つけたような、たまさかではない輝きのなかにいた。そこからどう下降するわけでもない。痛みが痛みとしてある。この歌は正直である、不幸を不幸だという歌だ。だからこそ、喜びも在る。ザイン、西洋語を借りなくてもよい。存在、ダーザイン、現-存在があると翻案もできる。ここからが自らの影響圏の話になる。ヒリヒリと、佐渡山豊の全楽曲を聴いたから語るのではない。百科全書、博物学では迫れない、「良知」、「格物致知」、朱子学や陽明学、あらゆる知が涙をのんでいる。涙は笑いに変わる、涙だからこそ、笑いが渇いていないのだ。日比谷の御幸通りを左右に見渡しながら、「帝国」に背を向けて駅を目指す。売笑婦は笑いまで売るのか、あまり聞かないことばだが。共鳴、共振は世界の一隅のダウンライトだ。尿意と暴威で腸から膀胱まで一直線、歌は伝う。ここではカネも意味をなさない、数字は青ざめる。「マブイを乗せて、サバニが行く」、魂を乗せて、舟が行く、肩の力が抜け、目が虚ろになる。私は一人の他者になる。誰が誰を責めるのか、誰も自分しか責めることはできないじゃないか!捩れた手を挙げてか、後戻りをしているかもしれない。無意識と意識の混濁ではなく、覚醒。時間を忘れる、時間の外に出る。時間外勤務か、勤務外時間か、off your balls,伝わるだろうか、言外のことばが:鼠が走る、窓外を蛇行する酔っ払った船、ちんちくりんの詩だ。音を緩めないで佐渡山豊を聴き続ける、「つむじ風」を聴く。「ためらいながら、お前を照らしているよ」、音を緩める。帆をたたむ、後はただ聴いていよう。つむじ風、ってそういえば、どんな風だろうと想像しながら。この温室のなかで、雪道をたどりながら。

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