2013年9月30日月曜日

【評論文】尹健次・著、孤絶の歴史意識 -「昭和」の終焉とアジア-の要約と考察(まとめ)

 (※この小文を学恩ある外村大先生に捧げます。)

序文】
人は最も罪深い情念までもしばしば自慢の種にする。しかし妬みだけは、人が敢えて自認することのできない惰弱で恥ずかしい情念である。(ラ・ロシュフコー 箴言集 27番)
On fait souvent vanité des passions même les plus criminelles; mais l'envie est une passion timide et honteuse que l'on n'ose jamais avouer.
People are often vain of their passions, even of the worst, but envy is a passion so timid and shame-faced that no one ever dare avow her.

尹健次氏の論文、孤絶の歴史意識 -「昭和」の終焉とアジア-(1989年発表)を読んで筆者なりに整理し、その上で考察を加えたい。そのことを決断したまず最初の契機として、本論文のある行を読んだ時に燃えた怒りがある。I was delighted.「走れメロス」を走らせるような怒り…怒りとはまた、ドストエフスキーが小説の登場人物に語らせたように、「気持ちがいいもの」であろうか?怒りの中には妬みがあり、また後悔をも生むという。しかし、あえて自らの恥を開陳することからこの文章を書き始めたい。
それは旧西ドイツの憲法にあたる基本法の第一条の引用、「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは、全ての国家権力の義務である」という一文を読んだとき、日本国憲法の第一条との対比、つまりは、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」、さらには第二条、「皇位は、世襲のもの」とあること、現にあることを下敷きとした、ドイツへの嫉妬なのか?また、この嫉妬は、日本国民としての嫉妬であるかはまだ精査しなければならないが、旧西ドイツ、日本と連合国の傘下にあった時期に、憲法の第一条がかくも違うことへの嫉妬であり、その法によって保護されるべき人間は誰なのか、「人間の尊厳は不可侵である」と、ただ人間であるだけでは日本では誰も言ってくれないのか、つまり市民、国民、天皇、外国人、被差別部落民、障害者と幾重にも分断された人々への呼びかけを巡るポリティクスへの怒りでもある。ここでは平等、という言葉が当てはまるような普遍あるいは真理がないのである。
あるいはしかし、怒り、には幾分か物事が明瞭ではない、明晰に分かっているわけではない、という面があるのではないか?限定された対象自体が分からないというより、物事の全体を網羅するような智慧あるいはイデオロギーという枠組みの不足というべきか。もし、相手のことが分かっている、あるいはもし仮に全知であるならば、後は遂行するだけであり、怒りという感情も少なくとも薄まるのではないか、と想像する。
いずれにせよ、無智と怒りは現にあるのであり、この怒りを火種として、筆者はまず尹氏の論文の私的な要約を試みたい。もともと十分な長さを持った論文(上下段で20ページに渡る)であり、かつ言葉が練られている上に内容豊富であるから、本論文を直接、日本語で読むことを誰にもお勧めしたいのであり、また実際そうした。その上で、要約、解説をとのお声をいただき、その必要性を感じての試みが本文となる。
 
 【要約】尹健次・著 孤絶の歴史意識 -「昭和」の終焉とアジア-(1989年発表)

「昭和」の終焉と天皇報道
「日本国民統合の象徴」としての天皇裕仁の死去と昭和の終焉に際し、様々な報道、現象、海外からの視線が日本人と天皇制を巡って表れ、それを詳細に検討したのが尹氏の論文かと思う。海外メディアの報道では、「首もたげる国粋主義」(韓国・東亜日報)とも危惧された、日本国内における天皇報道の異常な過熱、あるいは各種行事の「自粛」の他方で、テレビに飽きた人々によるレンタル・ビデオ屋の繁盛など無関心もあり、また「いま自分の言葉で語らなければならない…一つひとつの小さな文章」が新聞の投書欄に現れた。
 外国から見た場合、日本における天皇報道・議論は戦争責任を主軸とした核心を避けたものに映ったが、台湾などでは「歴史を避ける理由は何もない」(台湾・自立草報)との認識が示され、日本のマスコミが最も神経を使って自主規制した、天皇の戦争責任論とそれに関連する天皇制の論議が浮き上がってきた。他方、アメリカのマスコミでは、「日本の成功物語」(主に経済的成功)をすることによって、アメリカの選択(天皇制の存続)を擁護する点が見られた。
天皇問題をタブーとする日本のあり方は、「厳しい総括抜きで矛盾を棚上げする日本人のなれあいの所産」であり、天皇問題を論じる好機を意図的に無化した面は否めない。
 また海外からの反応を伝える際も、没主体的に紹介するのがせいぜいで、決して内在的な問題として捉えない。天皇を語ることを巡っては「丁寧で儀礼的な言葉や表現が乱発」され、日本人の建前の部分を支配し続けた。
 また日本人戦争体験者の間で、歴史意識の欠如が見られる一方で、他方むしろ歴史を共有しなかった新しい世代の一部が素直に歴史と戦争の意味を考えもした。しかし、概ね、年輩者にとっての戦争体験は被害者意識として多く追憶され、加害民族としての反省といった倫理性が希薄であった。戦争を巡る朝日新聞での投書では大雑把に言って加害体験を語るのは10%で、85%は被害体験を語っているという。しかし「国内では過去を見事に排除できた」けれども、経済力にも関わらず外国における自分たちの評判が過去の汚点で傷つけられていることへのショックもある。(西ドイツ・シュピーゲル)
 「昭和」の終焉に際しての世論調査では、象徴天皇制を支持する者83%という数字も上げられていることをどう考えるべきか、という課題が検討された。しかし、天皇に戦争責任があるとする個人の認識があった場合においても、それは民衆の一人としての戦争責任をも認め、たとえば反戦平和のために何らかの行動をとるといったことと必ずしも結びつくものではない。また、「天皇とともに生きた自分史を振り返る投書」が多数あった。そのなかには昭和ヒトけた世代の方で、日頃、天皇の戦争責任を追及する気持ちがあったにせよ、死去のニュースを聞くや、誰に強制されることなく、長年使用してなかった日の丸を探し、弔旗を掲げたという一見他者からは矛盾しているような「やりきれない思い」もあるようである。尹氏は「日本人の戦争体験の思想化の弱さ」が如実にあらわれているとするが、このことは天皇の死去に際し、マスコミが、天皇を戦前・戦後を通じ一貫した「平和主義者」として描き出し、「天皇の戦争責任は何がなんでも認めまい」という心性の表れであり、その根底には天皇の命令によってともに戦争を遂行したという「共犯者意識」(フランス、ル・モンド)があるという。
 また天皇が旧被害国の政治家と会った際に発せられた「過去の不幸な戦争」などといった、あたかもそれが自然発生的な災害であったかのような遺憾の意の表明に留まるのは、「象徴天皇」が、自分の言動に責任を取らなくていいということの「象徴」として、戦争責任を含めた戦後日本社会の無責任体制を助長させた、という。
 
戦争責任
このように話の主軸は日本のそして天皇の、主にアジアの国々への戦争責任論へと発展して行く。
敗戦後の日本のアジアに対する戦争責任は、朝鮮などのアジアの民衆に対してではなく、連合国に対してとるという形を持ち、朝鮮などの被植民地は、いわばひとつの帝国から他の帝国に譲り渡された。そして、その後、再び日本がアジア諸国と繋がっていったのは、「賠償」を美名とした経済的な再進出であった。
 「大喪の礼」に際しても、アジア諸国からの参列者に元首クラスの出席者はいなかったことに見られるように、アジアの民衆と天皇の間には深い溝があり、天皇に戦争責任があるとか、ないとか、といった日本国内での議論はアジアの民衆には全く無用、だという。
 韓国の『ハンギョレ新聞』にあった「ヒロヒトが生前になすべきこと」と題された記事から筆者は以下のような感動的な言葉を引用する。
 平和は、「互いが自分の失敗を悔い、相手を許すとき和解が成立し和睦が生まれる」ものである。またそのためにはヒロヒト日本王は生前に悔い謝罪するのが当然だ、という主旨の記事である。しかし、この「ハンギョレ新聞」のようなマスコミ、言論は少なく、日本の経済的支配を受けているアジア各国の親日的政権・マスコミは共通して口を噤む。
 このようななかで、在日朝鮮人は果敢に抵抗してきた。「日本の中のアジア」ともいうべき在日の「昭和史」は、民族差別に始まって、民族差別に終わってしまった、といわれるほど過酷であった。(詳細は論文の本文参照)
 いずれにしろ、「昭和」の終焉を契機に、アジア、世界のマスコミは天皇問題から現代の日本社会と日本人を改めて透視しようとした。
 さらには天皇死去に際しての危機感も見られ、「日本に祭政一致の風が吹くとき、隣国は不安になる」(韓国・『東亜日報』)、また「裕仁死亡契機『戦争責任』脱皮企図」、「アジア文化盟主論」など(『韓国日報』)の警戒感があった。
 
 
孤絶の歴史意識
 過去は人類すべての遺産であり、それぞれの人びとがもつ過去の総和が歴史でもある。
 日本の場合、歴史意識形成の前提条件となる社会の開放形態の問題として、つまり「開国のなかの鎖国」という点が指摘された。歴史意識であるべき「個体」意識は、むしろつねに国際的危機感に媒介された「国家」「民族共同体」の意識に収斂される傾向をもった。
 このような日本人の歴史意識は、敗戦とともに過去と断絶して新生の道を求めたはずであったが、日本人の多くは、そのじつ太いパイプで過去と連続したまったく没歴史的な自己主張を繰り返したにすぎない。
 また高度経済成長が進行するなか、政府権力が戦争責任否認の態度を取りつづけ、マスメディアも生活の隅々にまで入りこみ、それを助長した。
 そもそも天皇制自体が幕末、明治に作られた作為的フィクションであり、政治権力から離れた日本文化の精神や伝統としての天皇制が日本の歴史を貫いたものとする考え方は、現在でも支配層の核心にある天皇論だ、と安丸良夫は指摘する。このような「排他的伝統復帰」の擬古的な言説の再生産は、「外国人にとってエキゾチックな(大喪の)儀式そのものが、戦争へと導いたあの絶対的権力体制の一部」(西ドイツ・シュピーゲル)であると海外からも批判された。
 日本の「神話」的な体質とその経済大国の合体、普遍性の欠如ないし希薄さ、そして自民族中心主義などに対する危惧がそれらの批判の源泉である。
 
 天皇制と差別
 天皇は歴史的に、それ自体のうちに政治ならざるものを政治に、それも必ず、権力への忠誠を組織するという属性をもってきた。
 日本が共和制の元で生きてはいけないという科学的根拠はどこにもないが、憲法がその呪縛の根拠となっている。狭い「国家」概念に直結する「国民」概念に封じ込められ、在日朝鮮人などを人権保障の対象から巧妙に排除し、さらには戦後保障の受給権や教員などの公務就任権が否認されてきたのも、外国人排除のこの憲法構造とその理念に基づいている。つまりは「国民」という概念自体、国民でない人びととの間に境界線を引く。
 また天皇は上下、貴賤といった身分秩序のカナメである。
あるいは「一億総懺悔」とヒロシマ・ナガサキに見られる「被害者意識」の結合による排他的無責任体制という戦後の構造がある。
丸山真男は、日常生活における上位者かの抑圧を下位者に順次転化していくことによって全体のバランスが保持されているような体系を「抑圧委譲の原理」であると指摘した。戦前もヒエラルキーの最下位に位置づけられた下層民衆が、狂熱的な民族排外主義・多民族蔑視のとりこになりやすかった所以がここにある。一方において権威への盲従、他方において小児的依存を生み出す「甘え」の心理にもつながっている。自立的な自我の欠如であり、また天皇死去に伴う「自粛」や「記帳」そして天皇報道の「自主規制」には「ノー」と言えない日本社会の萎縮性があり、他人に合わせるという相互の配慮から生じる粘着性がある。それらは長いものには巻かれろ式の偽善営為であり、皆と同じようにするのが自分を守るために最も安全だという集団志向がある。
また異なった意見をマスコミが出す際にも、海外の報道を引用したり、なるだけ国内の欧米人記者を狩り出すことになる。

開かれた歴史意識へ
現代日本の大衆化社会においては、「大衆天皇制」(松下圭一)とか「週刊誌的天皇制」(三島由紀夫)といった国家が直接かかわらない生活意識の側面で受け入れられている面がある。日本の大小さまざまな「親和社会」では、「天皇」がボスの比喩として君臨し、ひたすら利己的で排他的な小集団を形成している。また日本では権力の中枢に近づけば近づくほど、園遊会とか叙勲など天皇との距離は縮まっていく。このような構造は海外日本人社会でも、日本人の秩序(差別)意識は大使館、つまり天皇との距離ではかられる。
天皇は無意識の拘束力をもつ求心点として、同じ日本人だという理由で、異なる意見を拒否する全体主義と化し、自らそこに安住する同族意識を生んでしまう。
このような状況での「国際化」の目的も、経済的利益を中心とする国家利益の確保と増大にあり、それは戦前からの国家主義ないし国威発揚と変わらぬ色彩がある。
ともあれ「昭和」は終焉した。日本人にとって、自らをいかに見るかということは、アジアからいかに見られるかということと、表裏一体をなしている。そのことによって日本人は真の意味で試されことになる。

(以上、要約)

 【解題】
抵抗しているのは、支配されたくないからだ。勇気を持ってそうする人もいれば、窮鼠猫を噛む、という感じのときもあるだろう。抵抗があるから発電する、自然科学のことは分からないが、物事を明るみに出すには抵抗がいるのではないだろうか。
 フランス流、あるいは現代社会の原型である契約社会に、天皇制は異物であり、かつ幕末、明治期に「臓器移植」され、どうやら体に馴染んでいるらしい。ご存じの方も多いことであるが、フランス革命は王をギロチンにかけた。理性の「野蛮」、筆者はロベスピエールがいなければ革命の精神というのはかくも論理的で凄惨ではなかったのではないか、というほどその思考に戦慄する。「神がいなければ、それを作らなければならない。」
 象徴天皇制のできるだけ平和な解体、という課題を設定できるだろうか?それが「国民」のためであるならば、そして全ての市民、世界平和のためであると説得できるならば可能であると筆者は考える。尹氏による批判は書き手の意図とは逆の効果を生んではならない。それは例えば、フェミニストがレイプされるくらいグロテスクなことなのだから…批判は根本的に天地をひっくり返す(即ち革命)か、あるいは改革、改善か、どちらかに向かわなければならない。
 あるいは天皇制が批判をも吸収し、あたかも筋力トレーニングの負荷のように、筋繊維を計画的に壊すことによって、筋繊維自体の再生と増強、つまり太くなることに資するならば、批判とその結果は皮肉なものにならざるをえない。書く、とは情報の提供以上に、本論文のように激烈な感情であり、詩でなければならない。

 もう一つ、筆者には当論文を取り上げた理由がある。それは昨今の「在特会」問題の根幹はどこにあるか、という問いである。「在特会」の本質を筆者は、向かうところのない嫉妬の感情が、社会の上部に向かわず、半ば一方的に、「在日」にいわば「最下位争い」をしかけているように思えてならない。つまり、誰が社会の「下層」なのか、ということに社会の「底部」にいる人間が焦燥に駆られているように見える。一見、平等であるはずの社会がかくもヒエラルキーの位置を争う焦燥に支配されている原因を筆者も、また本論文でも天皇制に見ていることは言えるのではないか。
 
 いずれにせよ、本論文は画期的であったし、20年以上の時を越えて画期的であり続けると筆者は信じる。また、本論文との対話は、関心を抱く各人において、丁寧に、そして豊かになされるべきであると信じるし、筆者自身も継続して本論文との対話を続けて行きたい。読む、とは本来そういうことであると信じる。

(以上、終わり)

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