2013年6月1日土曜日

贅沢で安心な時間、5.31よろんの里、佐渡山豊ライヴ!

 


 ライヴの感想を手書きで書きたくなった。
 どうせ後でパソコンで打つにせよ、ゆっくりと書くことを味わいたかった。
 ライヴの次の日、法事の帰りに、銀座のわしたSHOPで佐渡山さんのCDを買った。
 「存在」というアルバム、昨日Yさんにその存在を聞いたアルバムだ。
 さっきからアルバムと書こうとして、アラバマと書きそうになる、
 アラバマには行ったことがない。
 余計な文のリズムかもしれない、さて、
 2013.5.31椎名町、よろんの里ライヴの様子を書きたい。
 五月病も最後の日、池袋から西武池袋線で一駅、駅のすぐ近く、踏切の前によろんの里はある。近くに公園があり、犬と子どもが遊んでいる、大人も憩っている。
 ぼくはライヴの日はほとんど本を読まない、姜尚中先生の小説を少し読んだくらいで、早々に電車に乗った。
 もう一日の未知と出会う設計は出来ている。
 ガラガラ、ガラリンコ、扉を開ける、さあ、ライヴ開場だ!
 入ってしまうと、もう流れのなかだ、ビールを飲んで、ジーマミー豆腐、泡盛、そしてその後はお楽しみが待っていた。
 しかし、ライヴのことを書かなければ。

 それはまさに安心のステージだった。
 聴きたい歌が聴け、ヤキモキしないで済む日。
 目の前の最前列の座敷の席で、ぼくは飲みかつ聴いた。
 隣は、かのルリヲ・フルチ氏、前には沖縄出身のKさん、
 ステージは、ギター、ぼくも大ファンの杉山さん、
 そして、佐渡山豊! 酔ってなくても親しいぼくらの親分だ。

 アルバム、「つむじ風」から渋い歌の数々、 
 曲順なんて憶えていない、それがライヴだ。
 記録でなく記憶とはよくいったものだ。
 ぼくにとっては確かめる、何かを確かめる、安心の時間だった。
 自分の翻訳を確かめるために歌を聴いているような、
 歌が理屈を抜け出すまでの心の時間、
 これが熱するまでのぼくの時間だ。 
 It’s o.k. we don’t have a CD, we talk about it later,
  やがて酔うと喋りたいフランス語、
 クドウシズカのnumero 38 trente-huit!
  よろんの里の献奉、有泉をしこたまいただいたのは、ライヴ後だが。

 ぼくはドゥチュイムニィは自分でも歌う。
 もうライヴ中でも口が勝手に動く。
 定番の一曲、歌だが、
 ずっとこの歌を歌っている人がいることを知っている。
 カラオケでも歌っている。
 手拍子?Fat man’s joke!
  私は歌いたいのだ。
 眠い、クドウシズカが好きだという人に、
 杯一杯の焼酎を次々、
 4,5杯いただいた。
 酒は好きだ、スカッとする。
 いつも佐渡山さんといられるわけではない、
 だけど、いっしょにいられる安心感、
 親しさ、楽しさ、ほめられたい、
 いろんなボジティブな感情と意図。
 時代を切ることだけが、肝心なんじゃない。
 自分のドゥチュイムニィ(独り言)が大事なんだと、
 佐渡山さんはルリヲ君の出した答えに深く頷いていた。
 (アルバム「つむじ風」ライナーノート参照)

 さて、紙数が尽きたわけではないが、
 佐渡山さんが聴きたければ、
 歌や声と響き合いたいなら、
 ライヴに行こう。
 それだけなのだ、
 それだけが全てで、
 全てが一つなのだ、
 佐渡山さんに会うこと、
 この贅沢で、安心な時間。
 それがよろんの里の夜だった。


 

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