2013年1月30日水曜日

クロード・ポラン小論:フランスナショナリズムの系譜


 序論-クロード・ポラン元教授の経歴、位置づけと研究方法の模索

フランス政治哲学とはそもそもどのような特徴を備えているであろうか。そしてまたフランス政治哲学界において、本稿で取り上げるクロード・ポランがどのような位置をなしているのかを考察したい。そもそも個性ある個人を俯瞰、分類的に把握すること自体が困難であるが、同時代、同地域の学問から孤立した研究というものもない。また、合わせてクロード・ポランの研究を追う意義を示さなければならないだろうが、それは本稿の結論に位置すべきものであり、冒頭からそれを述べることは困難に思える。著名で定評のある人物の研究であれば、ある程度の共通認識に基づいて話を進めることも可能であろうが、紹介を含め研究意義を明らかにしたいというのが本稿の目的である。また本論考での争点を予め概括すると、それはフランスナショナリズムを巡る諸思想の抗争であると言えよう。

クロード・ポラン研究に関して、筆者は『交換の統制』[1]という論文を私的に訳出し、また『La Cité Dénaturée Cité Classique Contre Cité Moderne(脱自然化された都市-古典的都市対近代都市』[2]を研究中である。クロード・ポランの全研究は多角的であり、手元にある書物も現在では限られているが、今後長きに渡って研究を深めるにあたって、概括と検証を若干ながら試みたいと思う。
それに先だってクロード・ポラン本人の研究履歴を若干述べると、クロード・ポランはその父、レイモン・ポラン(政治哲学者、元ソルボンヌ大学総長)との共著[3]が複数あり、また、クロード・ルソーとの共著も多数ある。また比較的著名な本としてはクセジュ文庫の『全体主義』[4]を執筆している。
文体、特徴を述べると、講義や議論を通して明確になったことを書く、というそのスタイルから文体はしばしば口語的であり、ラテン語句や該博なキリスト教知識、さらに自然科学の知識がないと意図が分からない点など、筆者一人の研究では理解が進まないことも多々ある。
読む度に多岐に渡る示唆を受け、一概に論じられないような書物をいかに論ずるか、という問題を前にして、例えばそれを自分なりに日本語に翻訳することも研究の一助であり、また一つのテーマ、視覚から論じるという方法もありえるだろう。
また、テキストに内在して読み解く、という方法は、例えばヘーゲルをヘーゲル道として研究するといったようなディシプリン重視型の哲学研究になるだろうが、地域文化研究の観点からも、また、クロード・ポランが現代の政治的現象を読み解くためにも研究を進めている点から、同時代の様々な現象及び遡っての歴史への理解、関心が必要である。


1.フランス政治哲学、一つの概論

まず始めに政治哲学とは、政治を論じるに当たってどのような役割を果たしているのか、特に政治科学との関連において考察の端緒を示しておきたい。
宇野重規は以下のように述べている。

「政治科学は、社会の一般領域を扱う実証科学の一分野であるが、…政治と非政治の区別、あるいは、政治、経済、法律、宗教、道徳といった区別そのものが、実は近代社会の産物なのである。このような諸領域の分化こそが近代社会の構成原理であるとすれば、この原理そのものを問うには、政治科学はふさわしくない。それは政治哲学の任務である。…」[5]

宇野の議論を追いかけると、政治科学で取り扱う政治界より大きな単位である社会において、「政治的なるもの」、「社会のかたち」を問題とすることがフランス政治哲学には求められることになる。
またそのようなフランス政治哲学の伝統的性格についても他地域の政治哲学と比較した、宇野の説明を多少長くなるが引用すると、

「英米の自由主義を中核とする政治哲学の伝統は、方法論的個人主義や経験哲学とのつながりを濃厚に持ち、その結果、社会を抽象的で非歴史的な個人から構成されるものとして捉える傾向を持っている。また、その関連で、政治哲学が認識論に大きな関心を寄せてきたのも特徴的である。これに対し、フランス政治哲学の伝統は、個人をその置かれた社会的諸条件との関係において理解する傾向を強く持ち、生産諸関係や階級的諸関係に大きな注意を払ってきた。また認識論よりもむしろ歴史論との結びつきが深く、個人の自由を捉えるにあたっても、歴史的な社会類型論による説明を好むという特徴を持つ。」[6]

ここでは英米圏の個人主義的・経験主義的政治哲学との対比において、フランス政治哲学の性格として社会性・歴史性が指摘されている。
また、別箇所での対比を見れば、英米圏の政治文化の強みが、「ただ単に個別的、特殊的な問題解決に終始するのではなく、個別のイニシアティヴを最大限活用した上で、そこで得られたものを一般的なルールにまで昇華する」のに対し、フランス政治哲学においては、「一般的な原理を打ち出し、これをつねに未完のプロジェクトとして追求することにダイナミズムを生み出してきた」という。[7]
このような英米圏との対話は例えば、別章で比較を試みるレイモン・アロン、あるいはジャック・デリダにおいても見られるであろう。しかし、フランス政治哲学は英米圏との対比のみによって語り出すことはできない。アロンはドイツ、イギリスでの滞在研究、デリダはアルジェリアからフランスに移動し高等教育を受けた背景を持つ。
このような地域的移動の背景を度外視した「純粋哲学」、つまり内外の文化から影響を受けないような「普遍」というものを想定すること自体が閉鎖的であるばかりか錯誤かもしれない。
また地域文化研究とは地域をある程度限定した上での研究、議論であろうが、フランスとその旧植民地諸国との関係、移民、そしてフランスで活躍する多様な背景を持った人々による哲学的営為、あるいはドイツなど隣国の哲学的伝統との対話も無視することはできない。


2.フランスナショナリズム論とクロード・ポラン研究への結びつけ

以上のような多様なフランス政治哲学を巡る文脈において、パリ第四大学、政治哲学、社会哲学教授を務めながら、同時にソルボンヌの外国人留学生講座において、フランス社会思想史も担当したクロード・ポラン元教授は、またIHEDN(フランス国防高等研究所)での諮問委員を務めていたこともあり、国防の観点を合わせてフランス政治哲学の伝統を論じている。
移民、外国人問題に主に焦点を当てた研究とは違い、むしろナショナル・アイデンティティーに内在した言説といえよう。例えば日本でも著名なジャック・デリダ[8]などアルジェリアからフランスへと進学し、海外で広く活躍した哲学者もいる一方で、それだけがフランス哲学界全体の営為とはいえないだろう。旧植民地国から宗主国の西洋文明の内部に深く一方では同化し、また反発しながら発言を余儀なくされる者もいれば、他方で、フランス本国に生まれ、祖国フランスを真摯に問う姿勢を持つ者もまた、研究に価するのではないだろうか。


西川長夫が指摘しているように、「民族や文明/文化概念は…諸国家の内部における統合(国民統合)と外部に対する独自性(独立、国民性)の必要を主張」[9]するものであるなら、クロード・ポランの研究もまた大枠ではそこにあるという見方もできる。

「フランスの個人主義は国家権力や社会の全体主義的な流れには強固に抵抗するが、ときには独裁者を容易に受け入れる。フランス人の自由の感覚はきわめて無政府的で、享楽的であるが、ナショナリズムの波に飲まれやすい。フランス人は外国人と外国の文化を寛大に受け入れるが自らは外に出ていこうとしない、等々。」[10]
 
アフリカで仕事をした経験があり、スペイン語も読めると語っていたクロード・ポランではあるが、例えば個人的品性に対して「集団的徳性(ナショナリズム)」[11]という表現を使いながら、ナショナリズムという用語自体が、著作の中でもよくよく吟味されている。
そのような議論を詳細に論じることはここではできないが、このことは、国民国家が次の新たなシステムへの移行段階にあるというような未来発展的な西川の議論[12]とは違い、ヨーロッパ、キリスト教文明圏志向型で、主にフランスの地域、歴史に根ざしたナショナリズム論の展開があることへの注意を喚起する。
あるいはナショナリズムについてポランが多くを語らないこと自体に、いわばその自明性があるのだとしたら、その自明性の根拠を幾多のテキストの中で検証していくことが課題といえよう。
ナショナリズムは批判の余地なきものであろうか?あるいはそれは単に、右派、左派といった政治的立場のみに還元されるような言説の場に過ぎないのであろうか?
ポランは、「人間は本性的には右であり、左であることを志向する」と述べているのは、同じ一人の人間の中にも二面性があるということではないだろうか。
経済、社会、文化といったものを巡る様々な思想によって組み上げられている「実体的」なシステムとしてナショナリズムは不可欠であるのか、そしてそれが脱構築といった解体を許さない摂理であるのか、そこにフランスナショナリズムを巡る相克があるように思う。
そしてそれはフランスナショナリズムを論じることのみに留まらず、旧植民地におけるナショナリズムの生成、変遷[13]も含めて「普遍」であるとともに、フランス、ヨーロッパ地域固有の課題としても、論じる必要がないだろうか。例えば、フランツ・ファノンが、
 
「多数のフランス人が生活に困窮しているというのに、養ってゆかねばならぬ人びとを引きつけておこうと執拗につとめるフランス-この執拗さに直面して夢からさめたカルティエの苦渋は、植民地主義が利害を超越した援助や支援のプログラムに変化しえないという事実を物語っている」[14]

と、語っているような植民地主義的状況は未だに恒久的なシステムとして居座っているのであろうか。「真なるものとは、植民地体制の解体を早め、民族の出現を助けるものだ」[15]とファノンは主張する。このような問題が旧植民地国において論じられる[16]一方で、他方、フランスあるいはヨーロッパ内部の政治的文脈と言説あるいは学知、その中でも政治哲学の教育、言説を問い直す意義を提示できないだろうか。

3. レイモン・アロン:サルトル、ファノンとは違う形で

ソルボンヌでも社会哲学を講じていたレイモン・アロンについて、クロード・ポランは論文でもしばしば引用し、講義でも言及している。レイモン・アロンを論じることもまたフランス政治哲学を学ぶ上では欠くことのできない点だと筆者は考える。
北川忠明が、

「…フランス・リベラリズムの特質を『社会学的議論様式〔sociological mode of argument〕』に求める。すなわち、人間存在の社会的本性を強調し、抽象的理念としての自由を論じるのではなく、自由をより複雑なものとしてかつそれを可能にする具体的な社会的諸条件を歴史的な視野のもとで考察し、政治制度や政治理念の変化も現実の社会構造変動と関連づけて考察する態度を求め、アロンもこうしたモンテスキュー的、トクヴィル的伝統においてとらえる。」[17]

と、論じている点は、1.の宇野による議論と同じく、特に英米圏の自由主義との対比において、ここでも論じられている。
「アロンは『一定の組織だった概念や定義』からなる世界観としてのイデオロギーの狂信が帰結する全体主義に対して戦いを挑むことこそ『われわれ不屈の自由主義者すべての義務である』と結論する」[18]
とあるのは、マルクス主義を含むイデオロギー的言説への言及であろうが、自由主義もまた各人の思想的背景を無視して一様に論じられない多様性を持つものであろう。
アロンのフランスの思想的伝統を重んじ、またドイツに学び主にマックス・ウェーバーを研究し、あるいはジャーナリズムにも身を投じ、フィガロのような新聞でも論説していたその行動の多様性は大学人であることとメディアとの関係を持つことの積極性を示唆する。もっとも、フランス知識人の一般的性行として、北川は「知識人と実業家や政治家との間の相互の軽蔑と知識人の革命的傾向は、知識人の(経験主義ではなく)合理主義にも結びついている。知識人の合理主義は形而上学とイデオロギー論争を好む傾向を生み、政治体制と外交政策をめぐってイデオロギー的亀裂を生み出すことになる」[19]、と論じているが、このような知識人の視野の狭窄から、そして同時代的にはサルトル、メルロ=ポンティなどのマルクス主義への傾倒とは一線を画し、マルクス主義を論じた点[20]でレイモン・アロンはクロード・ポランの先駆者であり、「狂信」ではなく理性を重んじたといえるのではないか。
また、アルジェリア独立運動に対しては、独立へと世論を導こうとしながらも[21]、サルトルがファノンの本に序文を書いたことに関しては「それは途方もない嫌悪と暴力によって鼓舞されたものだったので、私にはショックだった」[22]と、その煽動性を危ぶんでいる。 このことは「自分が法に触れないと判断し、また事実上禁止されていない行為をした場合に、罰せられる危険の少ない社会」[23]を自由な社会であると論じるようなアロンの消極的自由に対して、ファノンのような激発的な文体、逸脱を禁じない法律観、あるいはファノンの置かれた状況にも一定の距離がある。そこには、フランスの言論人であるアロン(ユダヤ系知識人であることも言い添える必要があるだろう)と、アルジェリア民族解放戦線のスポークスマンであったファノン及びファノンの同調者であったサルトルとの違いも端的に表れているように思う。アロンは以下のように述べる。
「ひとたび植民地をもった以上は、その支配下に属する住民達の経済の発達に責任をもたねばならぬことが、すでに常識となった今日では、経済学者や経営者のみならず、政治家や一般の市井人にいたるまで、概して植民地の保有が高くつくことを知りすぎるほどによく知っている。本来の投資活動のうえに、さらに治安維持の費用が加わると負担は堪えがたいものになるからである。」[24]
サルトルの言説に見られるような他者(旧植民地)への積極的倫理ではなく、アロンが実益の観点から脱植民地化を論じることは、倫理によって必ずしも動かされない人々を説得するには有効ではないだろうか。
ここでいうような植民地主義はファノンの説明によれば、「植民地主義は他者の系統立った否定であり、他者に対して人類のいかなる属性も拒絶しようとする狂暴は決意であるがゆえに、それは被支配民族を追いつめて、『本当のところおれは何者か』という問いをたえず自分に提起させることになる」[25]
他方で、アロンにとって植民地問題と欧米諸国を論じる際に通底して倫理に近いものは自由主義と民主主義の調和から志向されているのではないか。[26]

「真に自由の名に値するものは、なにかといえば、それは不断の必要に応じて、真理と社会の幸福とを探求することにほかならない。また同時に、その探索を可能にすることが、すなわち社会的な自由の真の意義なのである。」[27]


4.本論、『脱自然化された都市』を巡る一考察

 ようやくここに至って、クロード・ポラン本人のテキストに基づき論じなければならないだろうが、日本での先行研究の例を知らないので甚だ心許ない作業に入る。今後の研究を待たずにいくらか現在論じられることを述べたく思う。
『脱自然化された都市』[28]序文において、各章と全体の構成が示されているが、概論としてこれを訳出すると、
国家自体がその執行を保証しないことがしばしばある法への信頼を基盤とすることの不可能
集団的救済への各個人の無関心の増大
そのことの結果としてテロリズムへの活動領域の拡大
公的なエコロジストがますます疑わしいような防衛策しかとれないような環境への軽視
全ての精神的文化の霧散と文化国家がますます説得力を失わせるような付け焼き刃的な対応
最終的に動物性への回帰、無為な平安、即物的で本能的な幸福
これらの崩壊が帰着する、多くの人が秘密裏には敬意を払い公的には中傷する社会主義思想の未着のヴァイタリティー
そしてある種の知的様式が、それが何であるか知られることなく普及する
社会民主
全ての通念となった諸思想に渡り、あるいは対抗して、東方での出来事に関心が寄せられる
ヴァイタリティー自体の証明と脱皮が死ではなく皮膚の交換(変革)への診断を助ける
西洋の変性、東方の保たれた若々しさ、もし本当には何も変わらないならば、二つの現象が、異なっているが矛盾しているわけではなく、同じ原因からの結果である:伝統が常に嫌悪していた経済的心性の勝利
(一二章の延長)反経済主義
しかし近代が経済的心性を崇拝していること
大病には荒療治:もし治すことができるならどのようにか?ここでは絶対に効く処方箋を出すわけではないが市(cité)の目に見えない天才を戻ってくるように招き、我々の眼前にある思い込み、偏見を養うことを止める。例えば、所有権の有害性について
契約の徳について
アイデンティティの呪力について
神権政治の機能性について
全てのナショナリズムの悪徳について
グローバリゼーションの避けがたさについて
全ての真なる文化の表現への無関心について
公衆的意見の神聖な性格について
法の本性について
伝統の害について

以上のような章立てになっており、これだけではよくわからないが、全体的なテーマは序文で示されている。筆者の目標としてこの書の日本語への翻訳はあるが、フランス語でも一度しか通読したことがなく、また精読も十分にできているとは言い難いのが現状である。

特に6章を取り上げると、動物性への回帰の文脈はアイザイヤ・バーリンの『自由論』の中から以下のような記述を思い起こさせる。
「人間のなかには、牢獄の平和、自足安心、宇宙のなかについに自分の居場所を見つけたという感覚の方が、壁の向こうの世界の無秩序な自由の苦しい葛藤や混乱よりも好ましいとするものがいつだっていたのである」[29]
クロード・ポランを語ることもまた、そのテキストに内在しつつも、その外部へと常に開かれたものであり、ソルボンヌを含めた欧米の自由論の系譜がそこにはある。
特にルソーとの関連で、隠遁と社会的交換の抑制をも視野に修めリベラリズム批判を行った経済哲学論『交換の統制』[30]は、ジャーナリストや、哲学に留まらないあらゆるリベラリズム批判の徒と共同で執筆した書物に収められており、この論文との関連も考察すべき点である。
またレイモン・アロン、アイザイヤ・バーリンのリベラリズム論をふまえた上で、例えば「ジャン・ジャック(ルソー)という、新鮮な水とドングリへと帰っていった人」を交えたフランス自由論の系譜、一つは父レイモン・ポランの研究も自ずとそこには含まれるであろう。[31]バーリンの言葉を再度引けば、
「政治哲学が概念あるいは表現の分析に局限されるのでないならば、政治哲学はある多元論的な-あるいは可能的に多元論的な-社会においてのみ、首尾一貫したかたちで追求されるのである。」[32]
もっとも『脱自然化された都市』もそうであるように、多元論的なテキストを一括に語ることは筆者の力が及ばないことでもあるので、試みに19章におけるポランのナショナリズム分析を通して本稿の一貫した議論に近づけたい。

ナシオンについて

本章の論点整理、要約をするにあたって、E.ルナンの『国民とは何か』[33]を参照とした。また同書、J.ロマン論文「二つの国民概念」より、ルナンと並びにフィヒテの国民概念が検討されている。ポランが主にフランスにおけるナショナリズム論を取り上げるのに対して、ルナンがアメリカとプロイセン[34]の国家像をも取り上げ論じているのは興味深いが、ルナンの講演に至るまでの歴史的経緯に触れることは筆者の力を超える。ここでは若干ながらドイツ(フィヒテ)とフランス(ルナン)による国民像の違いについて、ロマンが触れた部分を前掲してみたい。
「…国民がいわば空想の産物で、極めて主意主義的な仕方で構築しなければならないようなものとなればなるほど、国民は傾向として、有機的で生物学的な自然性という様態で思考されるようになることがわかるからだ。その逆に国民が実際の歴史的現実を多くもてばもつほど、人々の意志の同意からなる国民となり、あたかも、同国人たちが忘却をより先へと推し進め、そのあげく、暴力に頼らずに人々の意志の自由な合意によって作られた空想的な歴史を再構成してしまうかのようである。」[35]
既にここで、有機的な自然性によって国民統合の論拠とする立場と、あるいは歴史的忘却に依拠して「もっとも有益な結果をもたらした政治構成体の起源にさえ生起した暴力的な出来事を再び明るみに出してしまうこと」を防ぐ集団的記憶喪失[健忘症]に国民統合を委ねる立場(ルナン)を見ることができる。またプロイセン発展の因子を「初等教育の発展及び軍隊と国民の一致」であるとし、普通選挙を実施しないような国民皆兵制、義務教育という非民主的な手段に見ていることも興味深い点である。ここでは深く掘り下げないが、ポランの記述にはルナンの国民概念が当然影響を与えていることを指摘しておきたい。
(以下、19章、要訳)
まず、ナシオンは自然の事実(fait)であるか?という問いをポランは掲げる。それは、民族、出生、言語、宗教、領土、によって説明できるであろうか。「ナシオンの思想は自然の要因を統合するものである、それは確かなことだ。しかしそれらの自然的要因がそれ自体でナシオンを誕生させることはできないこともまた確かである」とポランは述べる。この辺りの文脈はルナンによって出された問いとの類似性が指摘できると思う。
では次に、ナシオンは人工物であろうか?という問いがなされる。現代は自然の考えというものが嫌われ、人間の意志によるものであると考えたがる傾向が指摘される。
18世紀の偉大な思想として契約概念があり、ナシオンは契約によるものであることが検討される。「Vive la nation」という標語の意味も、大衆人口が無視されないような政治システムが在れ、ということである。フランス革命という王の血によってできた新システムとしてのデモクラシー(民主主義)が掲げられる。ルナンによれば「国民は王朝の原理なしに存在しうること、王朝によって形成された国民もこの王朝から分離することができ、分離したからといって存在することを止めるわけではないことも認めなければなりません」[36]という結果を生むのである。
このような契約による社会とは、商業的な当事者が、消費者と購買者を合わせたものがナシオンを形成するということであろうか?
また、子が父と同じことを考えながら、世代間継承があるとナシオンは言えるであろうか?人間はあまりに多様であり、あまりに意見が変わりやすいため、かくも固執し、かくも一体な意志(volonté)を持つことができない。
それがなんらかの価値である以前に、ナシオンは事実でなければならない。ナシオンに所属することは何かに置き換えることができず、自ら率先してではない何かがある。ナシオンは契約によるもの以上であり、全ての民主主義システムは何かナシオンとは相容れないものがある。それは市民的な宗教観念によって契約が神聖なものになるようにし、市民がその義務を愛し、愛国心を養うようにさせる。
しかしナシオンが彼らにとって恣意的なものであったとして、なぜそのために死ぬといったことがなければならないのか。それは彼らの目に恣意性を自由に行使する保証そのものしか関心を呼ぶものがないからであろうか?
消費の共同経営がナシオンなわけではない、また生活を向上させる共同体でもない。人は物質的に優れたものと交換するために死ぬということはない。最高位の犠牲は、何のために犠牲になるかということそのものを示している。であるからナシオンは利益の集合体ではない。
ナシオンの感情とは自己自身よりナシオンを愛する気持ちである。物質的な快、単に消費と呼ばれるものはナシオンという思想にとってもっとも確かな毒である。経済は国境を好まない、なぜなら厳格さといったものを望まないから。利益は愛国心を持たないなぜならそれは鎖を好まないから。
ナシオンの現実の基盤に個人的自由を置くことはできない。ナシオンはその多様性の、その全ての成員の統一である。どこからその密度、そこからその統一性はなくなるのか?
ナシオンは内在的に政治的な現実である。ナシオンが自然な集合化(家族、部族)ではないのは、知性、意志への勤勉さ、があり、表面的なものに留まることはできない。動物は家族、一群となることはできても、ナシオンはないことからも、ナシオンは人間固有の徳を要するものである。
ルソーが指摘するように大衆(masse)は人民(peuple)にならなければ意志(volonté)を持つことができず、そのために全てのナシオンはその基盤を作る始祖がいる。したがって君主制なきナシオンはないのであるが、また同時にナシオンは強制や命令によるものではない。そこには契約があり、契約は政治的なものばかりではなく文化的なものであるといえよう。
人間は習慣の存在であり、時間(歴史)が愛国心という感情を準備する。アイデンティティ化できる集団性(collectivité identifiable)、フランスがなければフランスを嫌うこともできないのである。
国民文化はナシオンの魂であるが、政治という身体がなければならない。政治と文化は相互補完的な関係にある。人民や領土は政治的意志なくしてはない。[37]
また、神とちがってナシオンはそれに誓う信仰(foi)によってしか存在しない。ナシオンが統一に向けて常に自らを励ましながらそれに達することができないのは、罰へと有罪判決を受けているようだ。ヨーロッパの各ナシオンはキリスト教のヨーロッパにおける衰亡とともにおこったのである。
ナシオンの欠点、衰退の要因として以下の点があげられよう。
まず人間は普遍的な慈悲(charité)を行うことが不可能である。インターナショナリズムも増大する大衆の無関心によって個人をますます孤立して弱い立場に置くのである。
また統一性の欠如も挙げられるが、本来ナシオンは自己に満足しているためその本性からして防衛戦争にしか導かれないものである。だからといってナシオンは閉じられたものでもない。ナシオンは人間的なものである、神的なものではなく凡庸さによって特徴づけられている。また独立というものはそのまま帝国主義ではないのである。そしてよく標榜されるように、政治は闘争であり、経済は平和であるという考えも誤りである。
そして3つ目にアイデンティティの原理に対する危機がある。愛国心という感情はその勇猛さにも関わらず、自己を含みまたそれを追い越して行く大きな全体との距離を個人の感情から消すことはできない。これはドラッグやサッカーにおけるサポーターの様子とも準えることができよう。
4点目として、ナシオンの危機がある。グループ的エゴイズムによる資源の一元化と本当の愛国心は別であるが、主に経済的な暴力が地を覆うであろう。

以上のような論点をふまえポランは、グローバリゼーションという暴力がナショナルな徳性を覆って拡大していっても、それはナショナリズムがすぐさまなくなることではないことを示唆して、次章、グローバリゼーション(mondialisation)へと移るがここではそれについては触れない。
各章ごとに論じることはできず、また各章の要約を示すことも困難を感じざるをえないが、一つはポランが、「確立、決定(definitive)されたことだけを書く」ということからも論調が断定的であり、推論を追うこともできるが、ではなぜそうなるか丁寧に追うことよりも、その一行一行に示唆されることに圧倒されるのが筆者の現状であり、筆者個人ではこれ以上どう研究していいのか分からないような点がある。
ここでは契約が法的なものである以上に、文化的なものであり、また契約社会を含む文化もまた政治との関連で論じなければならないということが重要な点に思える。そしてナシオン(国民国家)は悪しき面、他者を排除する面があるにも関わらず、そこにおいて生じている集団的徳性もまた完全には捨てきれない面がある。もし西川長夫のいうようにナシオンが次の何らかの政治形態への移行期にあるにせよ、ナシオンが細胞膜のようにその壁を壊してしまうことによって死滅するものであるなら、ナシオンの瓦解、グローバリゼーションによる防壁の撤廃が、主に経済的主体によってなされることが、全ての人の新たな解放になるというのは早急に過ぎよう。だが時代は進んでいるのである。そして各国民国家が描き出すべき将来像を決定していく過程には、ポランに基づくような哲学的営為もまた必要となってくる。全体的章立てに沿って細やかな読解が望まれるがそれを今後の課題としたい。















[1] Benjamin Guillemaind,Arnaud Guyot-Jeannin監修、Aux Sources de L’Erreur Liberalsime  pour Sortir de L’Étatisme et du Libéralisme, 所収論文Claude Polin, De La Régulation des Échange, 1999, L’Age D’Homme より

[2] Claude Polin,Claude Rousseau,La Cité Dénaturée Cité Classique Contre Cité Moderne,PSR éditons,1997
[3] Raymond&Claude Polin,Le Libéralisme Espoir ou Péril ,La Table Ronde,1984
[4] Cluade Polin,Le Totalitarisme 3é,PUF,2007
[5] 宇野重規『政治哲学へ 現代フランスとの対話』2004,東京大学出版,p.69
[6]ibid,p.27
[7] ibid,p.214
[8] 「フランス共和国の教育制度は、…植民地や地方の貧しい子どものなかから優秀な生徒を選抜してパリでエリート教育をほどこし、共和国の指導的な階層を作り出していった。」(西川長夫『〈新〉植民地主義論』2006,平凡社, p.117)、「…わたしは地中海の南岸出身であるから、その生まれゆえに完全にヨーロッパ人とはいえないが、歳を重ねるにつれてますます、過剰に異文化を受容し、過剰に植民地化された一種の混血ヨーロッパ人という自覚を持つようになってきた者の感懐である。(culturecolonisationというラテン系の語は、まさに根に生じることが問題であるときに共通の語源をもっている)。それはおそらく、結局のところ、フランス領アルジェリアの学校以来、対岸の無頓着で非常な若さをいくぶん保持しながら、ヨーロッパの老いを資本蓄積しようと努めなければならなかった者の感懐であろう。」(p.5)、「…わたしはすみからすみまでヨーロッパ人であることを望まないし、すみからすみまでヨーロッパ人であるべきではない、と。『十全な権利を持った』帰属と、『すみからすみまで』とは相容れないにちがいない。わたしの文化的同一性、私がその名において語っている文化的同一性は、単にヨーロッパ的であるわけではないし、それ自身と同一であるわけでもなく、わたしはすみからすみまで『文化的』であるわけでもない。…」(p.65(ジャック・デリダ著、高橋哲哉、鵜飼哲共訳『他の岬 ヨーロッパと民主主義』1993,みすず書房)濁点、フランス語表記等、割愛
[9]西川長夫『国民国家論の射程-あるいは〈国民〉という怪物について』1998,柏書房,p.107
[10]西川長夫『フランスの解体?もう一つの国民国家』1990,人文書院,p.17
[11] Benjamin Guillemaind,Arnaud Guyot-Jeannin監修、Aux Sources de L’Erreur Liberalsime  pour Sortir de L’Étatisme et du Libéralisme, 所収論文Claude Polin, De La Régulation des Échange, 1999, L’Age D’Homme より
[12] システム崩壊の現象としてウォーラステインは、周辺地域における植民地的収奪の不可能性、剰余価値率の低落、環境破壊、福祉国家の限界、等を挙げている。(西川長夫『〈新〉植民地主義論』2006,平凡社,p.225
[13] 後発諸国の対応的ナショナリズムとして、
(1)      開発独裁や経済特区といった形で現れる、グローバル化を受け入れる一方で強化されるナショナリズム
(2)      グローバル化に抵抗しつつ反対派が抱く国民国家形成の願望としてのナショナリズム
(3)      西欧的な価値への反撥や伝統的な宗教と結びついた原理主義ナショナリズム
(4)      グローバル化の波にのって活躍するエリート移民と資源のとぼしい後発国の重要な輸出品目の一つとして送り出される貧しい移民たちの置かれた立場から生み出される多様で複雑なナショナリズム
(5)      少数民族や先住民族の問題は旧植民地である後発国においていっそう深刻で過剰な形をとることがありうる
 というような指摘がある。(註12と同一文献,p.246)   
[14] フランツ・ファノン著、鈴木道彦・浦野衣子訳『地に呪われたる者』1996,みすず書房,p.200(カルティエ…原註より、フランス人ジャーナリスト名)

[15] ibid.p.51
[16] ibid.「後進国における真正の民族ブルジョワジーは、彼らが向かうべく運命づけられていた天職を裏切ること、人民の学校に身をおくこと、つまり、コロンの大学に通っていた当時にもぎとった知的・技術的資本を民衆の自由な使命に委ねることを、その緊急の義務とせねばならない。…」p.145 
[17] 北川忠明『レイモン・アロンの政治思想』1995,青木書店,p.195
[18] ibid.p.111
[19] ibid.p.110

[20] 例えば文献として、Raymond Aron,Le marxisme de Marx,Editions de Fallois,2002
[21]「いったん貧困問題が独立という政治的要求に表現されたからには、いかに投資を増大させても経済的進歩は政治的改革の代わりにはならない」(p.123)とアロンはアルジェリア独立を擁護する点では、サルトルらとは異ならなかったが、アロンはサルトルについて、「いたずらに煩瑣な理論を展開し、史上にもたぐいまれな独断論」(『自由の論理』p.10620参照)などと批判をなしていることからも、思想的立場は大いに異なると思われる。北川忠明『レイモン・アロンの政治思想』1995,青木書店

[22] ibid.p.129
[23] ibid.p.208cf.レイモン・アロン著、曽村保信訳『自由の論理』1970,荒地出版社p.185より引用)傍点割愛
[24] レイモン・アロン著、曽村保信訳『自由の論理』1970,荒地出版社,p.105
[25] 14と同一文献。P.244
[26]24と同一文献。「民主主義が政府の型態や、その権力行使の様式に力点をおくのに対して、他方で自由主義がなかんずく問題にするのは、国家権力がどんな目的を自分に対して設定するかということや、それからその権力行使の限界がどこどこにあるべきか、というような事柄である。」p.190「とりたてて自由という唯一至高の存在を規定するような方式はない」傍点割愛 p.191
また、アメリカにおける左翼的立場の説明として、「…自然との闘争の手段を個人の自由な活動のなかに求め、また社会の秩序を少しでもわれわれの観念するところの正義の概念に近づける方法として、公平な競争(機会の平等、職業の自由化等)を支持してきたということができる。」p.141
[27] ibid.p.197
[28] 註2に同じ。
[29] アイザイヤ・バーリン著、小川晃一他/共訳、自由論、みすず書房、1997,p.285
[30] 1に同じ。
[31] レイモン・ポラン著、水波朗他/共訳、孤独の政治学 ルソーの政治哲学試論、九州大学出版、1982

[32] 29と同一文献。p.469
[33] エルネスト・ルナン他/著、鵜飼哲他/訳、国民とは何か、インスクリプト、1997
[34] ibid.「…そこ(筆者註:プロイセン)では社会は過去から派生し、旧来の枠に則り、道徳性と理性に対する支配権を一方的に掌握しており、個人は絶えずその社会によって捕捉され教育され形成され訓練され規律を課され徴用される。このシステム内では、個人は国家に対して法外な貢献をする。個人はその見返りに国家から、偉大な事業〔作品〕に参画する歓びと同様に、知的また道徳的な高度な文化を受容する。これらの社会は特別に高貴である。それらは科学を創造し、人間の精神を指導し、歴史を作る。だが、これらの社会は個々人のエゴイズムの要求や苦情で日々弱体化している」(ルナン)p.22
[35] ibid.p.39
[36] ibid.ルナン『国民とは何か』p.50
[37] ibid.「…フィヒテは決定の順序を逆転させる。民族を作るのは領土ではなく、人間が我が身に携えている言語である。国民の一体性は、ただ人間相互の間で生きられた絆の質にのみ存在するから、生態学的ではなく人間学的なものである。…唯一自然な国境とは、自発的な言語共同体がもつ人間的な国境であり、領土的な国境はつねに政治的(言い換えれば、国家的)であって、制度や事物の占有の印に過ぎず、主体自身の表現ではない。領土的な国境は自由ではなく、力を示すものである。」(バリバール『フィヒテと内的境界』)p.226,227

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